M&Aの動向
「会社を売りたい」と考える経営者は近年増加傾向にあります。背景には、中小企業の経営者の高齢化や後継者不足の深刻化があります。例えば2025年には、70歳以上の社長がいる中小企業が約245万社に達し、そのうち約127万社で後継者が決まっていないとされています 。もし後継者不在の問題が解決しなければ、数百万の雇用と数十兆円規模のGDPが失われかねないため、国も支援機関を通じて事業承継(会社の引継ぎ)を促進しています 。こうした状況から、廃業ではなくM&A(企業の合併・買収)によって会社を譲渡し事業を存続させる動きが広がっています。実際、日本企業のM&A件数は年々増加し、2022年には日本企業が関与したM&Aが4,304件と2年連続で過去最多を更新しました 。これは中小企業の後継者問題への対応策としての会社売却が増えていることや、買い手側にとっても成長戦略として中小企業の買収が選択肢になっていることが要因です。また、新型コロナ以降の経営環境変化により、不採算事業の整理や事業再編の手段としてM&Aが活用されるケースも出てきています。こうした流れから、「会社を売りたい」と検討することは特別なことではなく、事業を次世代につなぐ有力な選択肢の一つとなっています。
会社を売却する理由はさまざまですが、典型的なものを挙げてみましょう。第一に後継者不在です。子や親族、社内から後継者を確保できない場合、社長の引退時には廃業か会社売却かの選択を迫られます 。会社を誰にも引き継ぐ人がいなければ事業はそこで終わってしまうため、会社ごと譲渡して存続させることが社会的にも注目されています。第二に経営者の高齢化やリタイア希望です。長年会社を経営してきたオーナー社長が、引退して老後の資金を得たい、あるいは健康上の理由で退く必要がある場合、会社売却によって事業を託しつつ自らは経営から退くことができます。第三に事業承継以外の戦略的な理由もあります。例えば、事業の成長加速のために自社をより大きな企業グループに入れるとか、他社とのシナジー(相乗効果)を期待して売却を選ぶケースです 。市場環境の変化が激しい中、自社単独での成長に限界を感じ、大企業の傘下に入ることで設備投資や販路拡大の支援を受けられるなら、会社を売るのも一つの戦略となります。また、事業の選択と集中として、不採算部門を切り離すために事業売却する場合や、創業オーナーが会社の価値が高いうちにキャッシュアウト(資金化)しておきたいという資金確保の目的もあります。そのほか、倒産寸前の企業がスポンサーを探して身売りすることで事業存続を図るケースなど、経営不振の打開策としての売却もあります。このように「会社を売りたい」と一口に言っても、その背景には後継者問題から成長戦略、個人の事情まで様々な理由が存在します。
では、実際に会社を売却する場合、どのようなメリット・デメリットがあるのか、どんな手順で進めるべきか、注意すべき点は何か——本記事では、会社売却を成功させるために知っておきたいポイントを網羅的に解説します。近年のM&A市場動向も踏まえ、「会社を売りたい」と検討中の経営者の方に役立つ情報を整理していきます。
会社売却のメリット・デメリット
会社を売却することには、事業を継続できるという大きなメリットがある一方で、自ら経営の舵取りができなくなるなどのデメリットもあります。ここでは主なメリットとデメリットを整理してみましょう。
会社売却の主なメリット
会社を売却することで得られる代表的なメリットは次の通りです。
• 事業の存続と雇用の維持: 廃業してしまえば会社は消滅し、社内の技術やノウハウ、企業文化も途絶えてしまいます。従業員も職を失い、取引先との関係も断たれるでしょう。しかし会社を売却すれば第三者に事業を引き継いでもらえるため、会社を存続させることができます 。従業員の雇用も守られ、長年の取引先との関係も継続可能です。さらに買い手企業の持つノウハウ・設備・ブランド力などが加わることで、これまで以上に事業が発展するチャンスも期待できます 。特に中小企業では、自社単独では難しかった新規事業展開や設備投資も、売却後に親会社の支援を得ることで実現しやすくなります。
• オーナー経営者の負担軽減と資金確保: 長年経営してきたオーナーにとって、会社売却は肩の荷を下ろし第二の人生を始める契機になります。売却により経営の第一線から退くことで、日々の経営責任やプレッシャーから解放されます。また株式の売却代金という形でまとまった資金を得られるため、その資金を老後の生活費に充てたり、新たな事業や投資にチャレンジしたりできます 。実際、売却益数億円規模を手にしたオーナー経営者も少なくなく、これまで自社に蓄えてきた価値を現金化することで経営者個人の経済的安定を図れます。
• 個人保証や負債からの解放: 中小企業の社長は会社の借入に対して個人保証を提供していることが多く、万一会社が債務不履行に陥ると社長個人の資産で返済しなければなりません。会社売却によりその企業が買い手に渡れば、経営者の個人保証が解除されるケースが多いです 。これも大きなメリットで、売却後は社長個人が負債の重圧から解放され、経営リスクを個人で背負う必要がなくなります。加えて、会社の債務そのものも買い手に引き継がれるか、売却代金で弁済されることが一般的であり、オーナーは身軽な状態で次のステップに進めます。
• 廃業コストの回避: 会社を畳む(清算する)には実は大きな手間とコストがかかります 。在庫や設備の処分費用、工場や事務所の原状回復工事費用、さらに法人登記の抹消や税務申告などの手続きを専門家に依頼すれば相当の費用負担となります 。一方で会社売却であれば、こうした廃業に伴う手間や費用を省くことができる上、売却益が得られるため手元に資金が残ります 。つまり、費用をかけて廃業するよりも、売却によってむしろ収益を得られる点は見逃せません。
• 会社の更なる発展機会: 買い手企業が業界大手や関連分野の強みを持つ企業であれば、自社がそのグループの一員となることで事業拡大の追い風を得られます。例えば、販路を全国・海外に広げてもらえたり、インターネットやITに弱い会社がIT企業に買収されてデジタル化が進む、といった具合に、単独では得られなかった成長機会が生まれる可能性があります。これは会社を次のステージに引き上げるチャンスと言えるでしょう。また従業員にとっても、新しいオーナーの下でキャリアや待遇の向上が期待できる場合があります。
以上のように、会社売却には事業継続の保障やオーナー個人のメリットが多く存在します。特に後継者問題で悩む企業にとって、会社を売ることは従業員や取引先を守りつつ世代交代を実現する有効な解決策と言えます。
会社売却の主なデメリット
一方で、会社売却には留意すべきデメリットやリスクも伴います。主なポイントを挙げます。
• 経営の主導権を失う: 会社を売却すれば、新しいオーナーの経営方針に従うことになります。創業者やオーナー社長は長年築いてきた経営理念や方針があるものですが、売却後は自分が経営権を手放すため思い通りの経営ができなくなります。特に売却後も一定期間社長や顧問として残る場合でも、最終的な意思決定権は買い手に移るため、自社が自分の手を離れる喪失感を感じることもあるでしょう。また会社や製品に対する愛着が強い場合、「会社を手放した」という心理的な寂しさや後悔を感じるケースもあります。このようにコントロールを失うデメリットは、会社を「我が子」のように思う経営者にとって無視できない点です。
• 希望どおりの条件・タイミングで売れない可能性: M&Aは相手あってのものなので、売り手の希望するタイミングですぐに必ず売却できるとは限りません 。たとえ「今すぐ会社を売りたい」と思っても、適切な買い手候補が見つかるまで数ヶ月~年単位で時間を要することもあります。また自分の理想とする価格や条件を100%満たす相手に出会えるとは限りません。条件にこだわりすぎると相手が見つかっても交渉がまとまらないこともあります 。売却成立には買い手との譲歩のバランスも必要であり、全ての希望を通そうとすると破談になるリスクがあります 。したがって、「この条件以下なら売らない」と線を引きすぎると、結果的に売却の機会を逃す恐れがあります。場合によっては業績悪化等で時間が経つほど企業価値が下がり、さらに希望条件から遠ざかるという悪循環もありえます。つまり売却のタイミングと条件は自分だけでは決められないという難しさがあります。
• 一定期間の拘束(ロックアップ条項): 中小企業M&Aでは、社長や重要な役員が抜けると事業運営に支障が出るケースが多いため、契約上「一定期間会社に留まること」を義務付けられる場合があります。これをロックアップ(キーマン条項)と呼びます 。買収後すぐに前経営者がいなくなると、従業員や取引先が不安になったり業績が悪化する恐れがあるため、引継ぎのために売却後もしばらく経営に関与することを求められるのです 。例えば「売却後2年間は顧問として残り、新社長をサポートする」といった約束です。このロックアップにより、当初思い描いていた「会社を売ってすぐ引退し悠々自適」という計画が遅れる可能性があります 。また、契約によっては競業避止義務(一定期間、同業種の新事業を始めない約束)が課され、自由に次のビジネスを立ち上げられないこともあります。したがって、売却後の身の振り方に制約がかかる点はデメリットと言えるでしょう。
• 社内外への影響: 会社売却の話が公になると、従業員が将来に不安を感じモチベーションが下がったり、場合によっては重要な社員が離職してしまうリスクがあります。また取引先が「御社は買収されるらしいが今後取引は大丈夫か?」と心配して契約を見直す可能性もあります。一般的に最終契約までは極秘で進めますが、何らかの形で情報漏えいしてしまうと信用不安を招きかねません 。このように、M&Aの情報管理には最新の注意が必要であり、万が一情報が漏れると社内外の混乱を引き起こし、最悪の場合交渉決裂につながることもあります 。さらに売却後も、新オーナーの下で社風が変わったり組織再編が行われることで、従業員の戸惑いや抵抗が生じることも考えられます。場合によっては買い手が合理化のため人員整理を検討するケースもあり得るため、従業員の雇用が絶対保障されるとは限らない点にも注意が必要です(※もっとも中小企業の譲渡では従業員の雇用維持を買い手が約束するケースが多く、解雇は稀ではあります)。
• その他のリスク・デメリット: 売却に向けた準備や交渉には時間と労力を取られるため、経営者は本業との両立が大変になります。場合によってはM&Aプロセスに気を取られている間に業績が悪化してしまうリスクもあります(交渉中の業績悪化は交渉条件の悪化要因にもなり得ます )。また、複数の株主や役員の意見がまとまらないと、せっかく買い手が見つかっても交渉が難航します 。特にオーナー以外に株主がいる場合、事前に方針を一致させておかないと買い手に不信感を与え、破談の原因となります。 そのほか、帳簿に表れない債務(簿外債務)や潜在的な訴訟リスクなど、買い手にとってマイナスとなる事柄が後から発覚するとトラブルになります 。これらは最終的に契約上、売り手の賠償責任問題に発展する恐れもあり、注意が必要です。
以上が主なデメリットですが、適切に準備を行い交渉を進めれば多くはコントロール可能なリスクでもあります。売却プロセスを理解し、専門家の力も借りながら対策すれば、デメリットを最小限に抑えることができるでしょう。次章では、その会社売却の流れと各プロセスでのポイントを詳しく見ていきます。
売却の流れとプロセス
会社売却(M&Aによる譲渡)は一般に、準備からマッチング(相手探し)、交渉、そして契約・引き継ぎというステップを踏んで進みます。それぞれの段階でやるべきことや注意点があります。この章では売却プロセスを段階ごとに解説します。
準備段階
まずは事前準備(下準備)が肝心です。闇雲に動き出すのではなく、最初に「なぜ会社を売るのか」「売却によって何を達成したいのか」という目的を明確化しましょう 。会社を売る目的は企業によって異なります。事業継続が最優先なのか、従業員の雇用維持か、あるいは事業の更なる成長か、経営者の資金確保か──優先順位を整理することで、どのような相手に売るべきかが見えてきます 。例えば「従業員の雇用を守りたい」が最優先であれば、リストラを考えていない安定成長企業を探すべきでしょうし、「事業を大きくしてほしい」なら業界大手や拡大意欲の高い企業が候補になります。
目的が固まったら、会社の現状分析と価値評価を行います。自社の強み・弱み、財務状況、将来性を客観的に把握しましょう 。中小企業のオーナーは自社を高く評価しがちですが、市場の視点で適正な企業価値を算定することが重要です。必要に応じて財務データを整理し直したり、将来の事業計画をまとめたりして、買い手に提示できる材料を揃えます。また、株主や役員など会社関係者の間で売却方針の合意を取っておくこともこの段階で欠かせません。上層部で意見が割れていると後々失敗のもとになります 。特に複数株主がいる場合、誰がどの程度の株式を売るのか、全株譲渡するのか一部残すのか、といった基本方針を決めておきます。
次に専門家選びです。中小企業のM&Aでは、自社だけで買い手企業を探すのは困難な上、情報漏洩リスクの観点からも現実的ではありません 。そのため通常はM&A仲介会社(アドバイザー)など外部の専門家に依頼して進めます 。仲介会社にも様々な規模・得意分野がありますので、複数の仲介会社に相談して比較検討しましょう。どの仲介会社を選ぶかで出会える買い手候補の幅が大きく変わるため、仲介選びは慎重に行う必要があります 。可能な限り多くの仲介会社から話を聞き、手数料体系や実績、得意業界などを確認した上で、自社の目的を共に実現してくれそうなパートナーを選ぶことが大切です 。仲介会社と契約すると、秘密保持契約を締結し、本格的に売却プロジェクトが始動します。
準備段階では他にも、基本的な売却スキームの決定も含まれます。会社を売る方法としては大きく株式譲渡(会社の株を売る)と事業譲渡(会社の事業資産を売る)の2種類があります。中小企業ではオーナー個人が株主となっていることが多いため、株式譲渡によってオーナーが株式を買い手に渡し対価を得る形式が一般的です 。一方、事業譲渡は会社が事業用資産を売却し、対価を会社に入れる形です。それぞれ税金や手続きが異なるため、専門家と相談してどちらが適切か決めます(詳細は後述する税務の項で触れます)。多くの場合、オーナー引退・現金化が目的なら株式譲渡、事業再編や一部事業のみ売却なら事業譲渡が選択されます。
準備に十分時間をかけることが、理想の相手に出会いスムーズに交渉を進めるカギです。逆に準備不足だと、候補は現れても条件が合わず失敗に終わるリスクが高まります。数か月~一年ほどかけてでも下準備を綿密に行いましょう。
売却先の選定方法
準備が整ったら、いよいよ買い手候補の探索(マッチング)に入ります。この段階では仲介会社のネットワークや市場データベースを活用して、条件に合いそうな企業をピックアップしてもらいます。
まず仲介会社は企業概要書(ノンネームシート)を作成します。これは自社を紹介する資料ですが、社名が特定されないよう業種・規模・強みなどを匿名化してまとめたものです 。仲介会社はこのノンネームシートを元に、買収ニーズのありそうな企業に打診します。興味を示した候補とは秘密保持契約(NDA)を締結し、詳細な企業概要書や財務情報を開示して検討してもらいます 。
買い手候補の選定では、単に資金力があるかだけでなく自社の譲渡目的を叶えてくれそうかという観点が重要です 。例えば「社員の雇用を守りたい」ならリストラをしない方針の会社、「事業を伸ばしてほしい」なら業界シェア拡大を狙う会社、というように相手の戦略や社風も考慮します。また地域密着の事業であれば地元の有力企業や近隣業種へ、技術力が強みならその技術を必要としているメーカーなど、シナジーが見込める相手を探すことも大切です 。仲介会社は多数の案件情報を持っているため、候補リストアップの段階では自分では思いもよらなかった相手が浮上することもあります。
候補が複数出てきた場合、各社の提案内容や条件を比較検討します。通常は複数の候補と並行して交渉を進め、最終的に一社に絞り込む形になります。その際に重視すべきポイントとしては以下のようなものがあります。
• 提示価格: もちろん重要な要素ですが、価格だけにとらわれないよう注意します。極端に高い価格を提示する会社があっても、後で条件が厳しかったり、デューデリジェンスで減額交渉してくる可能性もあります。適正価格の範囲であるか、支払い条件(後述)も含めて判断しましょう。
• シナジー・将来性: 買い手企業の事業内容や戦略と自社との相乗効果を考えます。自社が加わることで相手企業がどんな効果を見込んでいるか、その実現性が高いほど、買収後に自社事業が発展し従業員にもプラスとなる可能性が高いです。
• 雇用や待遇条件: 従業員の雇用継続や待遇維持に関する買い手の考えも重要です。候補企業によっては「全社員の雇用を継続し待遇も現状維持」と約束してくれるところもあれば、役員や一部社員との個別契約を改めて結び直すところもあります。社員に極力不利益がないような提案をしているか確認します。
• 経営体制: 売却後の経営体制について、現オーナーや幹部がどの程度残留を求められるか、あるいは完全に退任で構わないか、候補企業ごとに異なります。自分が早期リタイアしたいなら、後継経営者を送り込む計画がある相手が望ましいでしょう。逆に買い手によっては「当面現経営陣に続けて欲しい」という意向の場合もあり、その場合はロックアップ期間や役職なども検討します。
• 財務力・確実性: 買い手候補の企業規模や財務体力も見ておきます。買収資金の調達計画がしっかりしているか(現金なのか融資なのか)、無理なく支払えるか、といった点です。将来的に自社が買い手グループの傘下に入る以上、相手企業が健全経営で将来性があるかどうかも安心材料となります。
• 買収実績: すでに他社を買収した経験がある企業は、M&A後の受け入れ体制やノウハウがある程度整っている可能性があります。逆に初めての買収だと統合作業に不慣れでトラブルが起きる懸念もゼロではありません。ただ、これはあくまで一要素で、初めてでも誠実に取り組んでくれる会社も多いので、総合的に判断します。
以上を総合して「この会社になら任せられる」という候補を絞り込んでいきます。候補企業との接点は最初は匿名で間接的ですが、興味を持った相手とは次第に直接のやり取り(面談等)に進みます。そのプロセスについて次項で説明します。
交渉のポイント
買い手候補企業が具体的に名乗りを上げてきたら、トップ面談と呼ばれる経営者同士の直接会談を行います 。ここでお互いの事業観や譲渡の目的・条件感などを話し合い、相性や方向性を確認します。複数の候補者がいる場合、それぞれのトップ同士で面談を重ね、当事者同士の人間的な相性や信頼感も探ります。「この人に任せたい」と思えるかどうかは定性的ですが非常に重要です。
トップ面談を経て、買収に前向きな候補から意向表明書(LOI: Letter of Intent)が提示されます 。これは「◯◯社を△△円で買収したい。主要な条件は〜」という買い手の基本提案を文書化したものです。売り手はこれを比較検討し、最も条件の良い1社と基本合意契約を締結します 。基本合意では、価格や大まかな取引スキーム、独占交渉権(基本合意期間中は他社と交渉しない約束)などが定められます。ただし基本合意時点では法的拘束力の弱い事項が多く、最終契約前提の仮契約のような位置づけです。ここから先は基本的に一社の買い手と最終契約に向けた独占交渉となります。
交渉過程で押さえておくべきポイントをいくつか紹介します。
• 価格と支払い条件: 提示された価格(企業価値)はもちろん最大の論点です。ただし価格だけでなく支払い方法・条件も重要です。支払いは一般にクロージング時に全額一括が望ましいですが、場合によっては分割払いやアーンアウト(将来の業績に応じて追加支払い)などが提案されることもあります。分割払いやアーンアウトは最終的に満額受け取れないリスクもあるため注意が必要です。一括払いが基本ですが、業績連動など条件付きの場合はそのハードルが現実的か吟味します。
• 売却形態・範囲: 会社の全株式を売るのか、一部の株式を売るのか、あるいは事業の一部だけを売却するのかといった取引範囲も明確にしておきます。通常、オーナー引退の場合は全株譲渡となりますが、子会社や特定事業だけを譲渡するケースではその範囲を合意します。また資産・負債の引き継ぎ範囲(例えば不動産や有利子負債を含めて引き継ぐかどうか)も詰めます。
• 従業員の処遇: 従業員の雇用継続について買い手側に改めて確認します。一般的に「現行の雇用条件を維持する」ことが多いですが、役員や親族社員の処遇、待遇水準の調整、有期雇用社員の契約更新など細部も詰めます。従業員への説明や発表タイミングについても取り決めておくと安心です(通常は最終契約後、速やかに社内発表し、その後取引先等へ説明)。
• 経営者・役員の役割: 前述のロックアップに関わる事項ですが、売却後に現経営者や主要役員がどの程度関与を続けるか取り決めます。買い手によっては「一定期間現状のまま経営してほしい」場合もあれば、「すぐに新経営陣に交代したい」場合もあります。ここは自分の意向ともすり合わせ、無理のない範囲で合意します。仮に残留期間を設ける場合、その役職・報酬・権限なども決めておきます。
• 表明保証と補償: 最終契約には通常、表明保証条項(売り手が会社の財務や法務状態について真実を表明し、万一違反があれば賠償する約束)が含まれます。たとえば「財務諸表に重大な虚偽がない」「隠れた債務はない」など売り手が保証し、違反時には損害賠償や価格調整の対象となります。売り手としては開示すべき事項は全て伝え、誠実に対応することが大前提ですが、表明保証の範囲が過度に広すぎないか専門家とチェックします。また、万一補償責任が生じた場合の上限額や期間を設定することも交渉ポイントです。
• 競業避止義務: 買い手は、売り手が会社売却後に同じ業界で新たに競争相手になるのを防ぐため、一定期間の競業禁止を求めるのが一般的です。例えば「3年間は同業の事業を行わない」といった内容です。売り手としても常識的な範囲であれば応じる必要がありますが、あまり長期間すぎたり関連しない業種まで広く禁止されていないか確認します。
• その他特記事項: その案件特有の取り決め事項があれば詰めておきます。例えば不動産賃貸契約を売り手関係者から買い手に変更する場合の条件、オーナーの貸付金があれば返済方法、新規プロジェクトの扱い(継続するか停止するか)など、多岐にわたります。会社の貸借対照表の調整(クロージング時点の正味資産額の調整方法)なども専門的ですが重要な点ですので、仲介や弁護士の助言を受けつつ取り決めます。
交渉は時に難航することもありますが、売り手買い手がお互いにWIN-WINになる着地点を探す作業です。一歩も譲らない姿勢ではまとまる話もまとまらないため、事前に許容範囲と妥協点を定めておくことがスムーズな交渉のコツです 。そして、主要条件で合意できれば最終契約締結へと進みます。
契約締結から引き継ぎまで
買い手との基本条件で合意に至ったら、デューデリジェンス(DD、買収監査)が行われます 。デューデリジェンスとは、買い手側が専門チーム(会計士・弁護士・税理士など)を組織し、売り手企業の財務・税務・法務・ビジネスなど様々な面を詳細に調査することです 。決算書や契約書、許認可、資産台帳、債権債務一覧、人事労務の資料など大量の資料提供に協力することになります。売り手にとってはストレスのかかるプロセスですが、買い手がリスクを把握する上で避けて通れないため、誠実かつ迅速に対応しましょう。万一ここで重大な問題(未解決の訴訟や大きな負債、簿外債務など)が発覚すると、条件の見直しや最悪取引中止となる可能性もあります 。逆に、事前準備でしっかり問題を洗い出して対策済みであれば大きな修正は生じないでしょう。
デューデリジェンスの結果を踏まえ、必要に応じて取引条件の最終調整が行われます 。例えば、在庫評価に誤差が見つかれば価格調整したり、引き継ぎ不可の契約が判明すれば対応策を協議する、といった具合です。それらすべてがクリアできれば、最終契約書の締結となります 。最終契約(株式譲渡契約または事業譲渡契約)はM&A取引の本契約であり、売り手と買り手が合意した全条件が法的拘束力を持つ形で文書化されます。契約書には前述の価格・支払条件、表明保証、違反時の措置、クロージング条件などが網羅され、双方署名・押印します。ここで晴れて基本合意から最終合意へとステップが完了します。
クロージング(取引完了)は契約書で定められた条件がすべて履行されることを指します。株式譲渡の場合、買い手から売り手へ譲渡対価の支払いが行われ、同時にオーナーから買い手へ株式の移転(株券の引渡しや名義書換)が行われます。事業譲渡の場合は事業用資産の引渡しや必要な許認可の承継手続きなどが実行されます。通常、契約日とクロージング日が同日であるケース(即時クロージング)も多いですが、条件によっては「○月○日をもってクロージング」という形で契約締結と実行がずれる場合もあります。例えば主要取引先からの事前同意が必要でその取得後にクロージングする、といったケースです。契約書に定めたクロージング前提条件がすべて満たされればクロージング実行となります。
クロージングをもって会社は正式に新オーナーのものとなります。ここからは引き継ぎ(PMI: ポスト・マージャー・インテグレーション)のフェーズです。まず社内外への周知を適切に行います。従業員へはできるだけ直接社長から説明し、今後の方針や処遇について安心材料を伝えます。併せて主要な取引先にも訪問や書面で報告し、関係継続のお願いをします。「経営体制は変わりましたが事業は今後も継続します」と説明し、取引先の不安を取り除きましょう。場合によってはプレスリリース等で公表することもありますが、中小企業の場合は関係者への通知が中心です。
引き継ぎ業務としては、経理・人事・ITシステムなど事務面の統合作業、新オーナーの経営陣への業務レクチャーなどが発生します。ロックアップ期間が設定されている場合、旧オーナーや幹部社員はその期間中、新経営陣の補佐役や顧問的立場でサポートします。具体的には得意先の紹介、新社長との関係構築支援、社内ルールの整備、新体制への社員の意識改革フォローなど、多岐にわたります。引き継ぎを円滑に行うことがM&A成功の重要ポイントです。特に人の引き継ぎ(人心の引き継ぎ)が大切で、従業員が新経営陣のもとでもモチベーション高く働けるよう、旧経営陣は橋渡し役に徹すると良いでしょう。
以上が会社売却の一連の流れです。準備→相手探し→交渉→契約→引き継ぎと進む中で、それぞれ専門知識が求められる場面が出てきます。次章では、実際の成功事例・失敗事例を通じて、どんなポイントがM&Aの成否を分けるのかを見ていきます。
成功事例と失敗事例の分析
会社売却(M&A)の結果は、売り手・買い手双方にとって満足のいく「成功」となる場合もあれば、何らかの問題が生じて「失敗」となる場合もあります。その違いはどこにあるのでしょうか。ここでは、一般的な成功例・失敗例をもとにポイントを分析します。
成功するケースから学べるポイント
中小企業の事業承継型M&Aにおいて、円満に成功するケースにはいくつかの共通点があります。
• 早めの準備と的確な相手選び: 成功した売却事例では、経営者が比較的早い段階からM&Aを検討し、十分な準備期間を取っています。会社の財務資料や契約類を整え、事業の強み・弱みを把握した上で、自社に合った買い手像を明確にしていました。その結果、仲介会社が探してきた候補もミスマッチが少なく、複数の良い候補から最適な一社を選ぶことができています。準備と戦略がしっかりしていると、交渉も主導的に進められ、希望に近い条件でまとまりやすくなります。
• 経営者自身の熱意と誠実さ: 買い手に「ぜひこの会社が欲しい」と思わせるには、やはり売り手経営者の人柄や誠実さも大きく影響します。成功例では、経営者が自社の未来や従業員のことを真剣に考え、譲渡後のビジョンを買い手と共有できていました。トップ面談でも隠し事なく事実を開示し、信頼関係を築いたことで、買い手も安心して取引を進められたのです。逆に買い手が不安に思うこと(簿外債務や法的リスクなど)があれば事前に洗い出して開示し、問題解決に協力する姿勢を示していました。その結果、表明保証違反などのトラブルも起こらず、スムーズに最終契約に至っています。
• 従業員への配慮と円滑な引継ぎ: 従業員を巻き込んだソフトランディングができたケースは、売却後もうまくいきます。成功事例では、最終契約後に経営者自ら全社員に丁寧に説明し、不安点を聞き取った上で買い手企業とも連携して従業員フォローを行っています。買い手側も新社長や役員が現場社員と積極的にコミュニケーションを図り、企業文化の融合に努めました。その結果、社員の大量離職や混乱もなく、新体制へスムーズに移行できています。従業員がポジティブに受け入れてくれれば、業績も安定しやすく、M&A後のシナジー発揮も早まります。
• 適切な専門家の活用: 成功例では、仲介会社の他にも弁護士・税理士といった専門家を適切に活用しています。契約条件の詰めや法務・税務の論点でプロのアドバイスを受け入れることで、自分たちだけでは気付かなかったリスクを回避できました。また、仲介会社任せにし過ぎず、経営者自身も重要局面では自ら判断し動いています。専門家に任せるところは任せつつ、自社の意思決定はぶれずに行うバランス感が成功の秘訣です。
• 売却後の発展: 真の成功は、売却後に事業がより発展することです。ある成功事例では、赤字寸前だった地方の製造業者が売却によって大手メーカーのグループ入りし、設備投資と営業強化で黒字転換、従業員の給与もアップしたというケースがありました。また別の例では、後継者がいなかった老舗企業が同業他社に譲渡され、新ブランドとして商品展開を全国に広げ存続・成長を遂げた例もあります。これらは買い手と売り手の目的が合致し、M&Aが双方に利益をもたらした理想的ケースと言えます。
このように、成功する売却には「早めの準備」「信頼関係の構築」「人への配慮」「専門家との連携」というキーワードが浮かび上がります。最初から最後まで誠実にプロセスを進めることで、売却は経営者にとって納得のいくハッピーエンドとなるでしょう。
失敗してしまうケースの原因
一方で、残念ながらうまくいかなかった失敗事例も存在します。失敗から学べる教訓として、以下のような要因が挙げられます。
• 着手の遅れとタイミング逸失: 「もう少し業績が回復してから売りたい」「まだ若いから後でいい」と先延ばしにしているうちに、経営が悪化して買い手がつかなくなった例があります。経営者が高齢でギリギリまで粘った結果、体調を崩し十分な準備ができないまま事業が傾いてしまい、希望の条件はおろか買い手自体見つからず事業承継に失敗したケースもあります。適切なタイミングを逃すと、会社価値が下がるだけでなく、そもそも売りたくても売れない状態に陥りかねません。M&A市場が活発なうちに決断する勇気も必要です。
• 情報漏えいによる信頼毀損: 売却交渉の過程で社内外に情報が漏れ、従業員や取引先が動揺したり、別の競合企業に知られて混乱が生じた例があります。例えば社内のごく一部にしか伝えていないはずが噂が広まり、社員が大量退職してしまったり、取引先から契約打ち切りをほのめかされたりして、交渉自体が破談になったケースです 。情報管理は徹底すべきで、想定外のところから漏れる(例えば関与した役員や家族から漏洩する、仲介会社が不特定多数に当たって噂が立つ等)こともあるため、注意が必要です。一度信頼を損ねると交渉相手からも「管理が甘い会社だ」と評価が下がり、取引中止につながる場合もあります。
• 社内意思統一の欠如: 先にも触れた通り、株主や役員の意見不一致は失敗の元です 。ある事例では、オーナー社長は売却に前向きだったものの、社内のベテラン役員が反対し水面下で買い手にネガティブ情報を伝えてしまい、買い手が不信感を抱いて撤退してしまいました。また別のケースでは、親族で株を分散所有していたため一部株主が同意せず契約直前で破談となったこともあります。売却には関係者全員の協力が不可欠であり、内部調整を怠ると最後の最後で綻びが出ます。
• 交渉態度や条件の問題: 売り手経営者の態度が原因で失敗することもあります。例えば「最初に提示した希望額に固執し一切譲らない」「交渉の途中でどんどん条件を後出しで追加する」「買い手を見下すような発言をする」といった不誠実な対応は、買い手の心証を著しく悪くします 。一度決めた条件を後になって理由もなく変更したり(脈絡のない条件変更)、曖昧な表現でごまかそうとしたりすると、買い手は「この売り手とは信頼関係を築けない」と判断し、交渉を打ち切ってしまいます 。M&Aは人と人の取引でもあるため、礼節や誠意を欠く対応は致命的です。
• デューデリジェンスでの重大問題発覚: 売り手が気付いていなかった簿外債務や重大な契約違反、法令違反などがDDで発覚し、買い手が撤退したり大幅な条件変更を迫られたケースがあります 。例えば過去に環境汚染問題を起こしていて賠償リスクがあった、知的財産に係争リスクがあった、長年違法な労務管理をして訴訟寸前だった、などです。「売り手自身も認識していないリスク」が潜んでいる場合もあり 、DDで露見すると買い手は非常に慎重になります。最終的に価格を大幅に下げられたり、契約後に問題処理コストを負担する羽目になったりと、売り手にとっても不本意な結果になります。事前に専門家に依頼してセルフデューデリジェンスを行い、地雷を洗い出しておくことがいかに重要かが分かります。
• M&A後の統合失敗: 契約まではスムーズにいったのに、その後の統合作業(PMI)がうまくいかずに結果的に事業が失敗してしまう例もあります。例えば買収後に買い手企業が思い描いていたシナジー効果が得られず業績が伸びない、あるいは企業文化の違いから社員の大量退職や内紛が起きて事業が回らなくなる、といったケースです。この場合、買い手にとっては失敗ですが、売り手にとっても「せっかく譲渡した会社がその後うまくいかず縮小してしまった」と残念な結果になります。M&Aの成功は契約締結がゴールではなく、その後の事業成功まで見届けて初めて成功と言えます。したがって買い手選定の段階で統合計画や文化の相性も考慮すべきなのです。
以上のような失敗要因を踏まえると、結局のところ「準備不足」「関係者の不一致」「信頼関係を損なう行為」「リスク軽視」が失敗を招いていることが分かります。逆に言えば、これらに注意し事前に手を打てば失敗確率は格段に下がるでしょう。せっかく大事な会社を託すわけですから、最後まで気を抜かず丁寧にプロセスを進めることが大切です。
税務・法務のポイント
会社を売却する際には、税金や契約の法的事項についても事前に理解し、適切に対処する必要があります。この章では、特に重要な税務と法務のポイントを解説します。
売却時の税金(法人税・譲渡所得税など)
会社売却で発生する税金は、売却スキームによって異なる点に注意が必要です。主に「株式譲渡」で会社を売る場合と「事業譲渡」で売る場合で税金の種類と負担が変わってきます。それぞれ代表的なものを見てみましょう。
• 株式譲渡の場合(オーナー個人が株式売却): 中小企業のオーナー社長が自分の持つ会社株式を買い手に譲渡した場合、オーナー個人に対して譲渡所得税(キャピタルゲイン課税)がかかります。譲渡益(株式の売却額−取得費用等)に対して、一律20.315%(所得税15%+住民税5%+復興特別所得税0.315%)の税率で課税されます 。この税率は給与などとは分離した申告分離課税であり、利益額に関わらず一定です 。例えば株式売却益が1億円なら約2,031万円が税金となります 。なお、この税は株式を売ったオーナー個人が翌年確定申告して納めます。累進課税ではないため、大きな額を得ても税率20.315%で済むのは株式売却のメリットです。仮に同額を役員報酬で得ようとすると最高税率55%近くになる場合もありますので、M&Aで株式を売る方が効率的に手取りを残せるという側面もあります 。一方、株式を売却して会社を去るオーナーには退職金も支給できます。役員退職金には優遇税制があり、適正額であれば損金算入できるため、株式譲渡代金の一部を退職金として受け取ることで税負担を軽減する手法もあります (このあたりは専門家と要相談です)。
なお株式譲渡でオーナー個人が納税する以外、買い手や会社側に課税は基本発生しません 。買い手は取得した株式の支払いに消費税もかかりませんし、印紙税(契約書貼付印紙)は売買金額に応じて負担しますがこれは少額です。買い手が支払った金額は将来売却しない限り税に直接影響しません。ただし買収後、買い手側での会計処理として「のれん(※買収額と純資産の差額)」を計上し、それを一定期間で償却することで法人税の計算上経費化する効果はあります(会計と税務上の細かな扱いは割愛します)。要するに、株式譲渡は税負担が売り手(株主個人)に集中し、税率も20.315%と比較的低率なので、オーナーにとって有利な売却形態と言えます。
• 株式譲渡(法人株主の場合): もし売り手株主が個人ではなく法人(例えば親会社が子会社株を売るようなケース)の場合、売却益はその法人の法人税課税所得となります。法人税等の実効税率は約30%前後(中小企業ならもう少し低い)なので、法人株主が株を売ると約30%の法人税がかかります 。中小企業オーナーのケースではあまり関係ありませんが、自社株をオーナー以外の会社が持っている場合は留意しましょう。
• 事業譲渡の場合: 会社が事業を売却する形(事業譲渡)では、税金のかかり方が株式譲渡と大きく異なります。まず事業を売った売り手の会社に対し、その譲渡益に法人税等(約30%)が課税されます 。事業譲渡では売却代金が会社に入り利益が会社に発生するので、会社に税金がかかるわけです 。個人に直接は課税されません。一方、買い手側にも税金が発生します。買い手は事業譲受に伴い、不動産取得税(不動産が含まれる場合)や登録免許税(許認可や資産の名義変更登記)などがかかるほか、最大の違いは消費税です 。事業譲渡では、譲渡する資産(棚卸資産や設備、営業権など)に対して消費税が課税されます 。土地や売掛金など非課税資産を除き、通常商品や備品、営業権(のれん)などは課税対象となり、買い手は消費税を支払います。ただし買い手企業は後に仕入税額控除で実質的には負担を相殺できるケースもありますので、結果的には買い手→売り手会社に消費税相当額を払い、売り手会社はそれを納税する流れです 。さらに、事業譲渡後に会社を清算してオーナーにお金を引き出す場合、清算配当や残余財産の分配として株主であるオーナーに再度税金(配当課税や清算所得課税)がかかることになります。これにより、事業譲渡では二重課税になる恐れがあります。例えば事業譲渡益に法人税30%、残ったお金をオーナーに配当する際に20%課税されると、トータルでは約50%近くが税で持っていかれる計算です。したがってオーナー個人が会社を売ってリタイアするケースでは、通常事業譲渡より株式譲渡の方が税負担を抑えられるため多く用いられています 。
以上まとめると、株式譲渡:売り手個人に20.315%課税(低税率)、事業譲渡:会社に約30%課税+場合によってオーナーへ配当課税という違いがあります。もちろん個別の状況によって適切なスキームは異なりますし、組織再編を絡めた節税策(例えば株式を個人から一旦別会社に移す等)も考えられます。税金面はM&Aの純利益に直結しますので、必ず税理士等の専門家と相談して最適な方法を検討しましょう。
最後に細かい点ですが、会社売却時には印紙税(契約書に貼る収入印紙代)が売買金額に応じて数万円〜数十万円かかったり、不動産を含む場合は不動産取得税や登録免許税が買い手負担で発生するなどもあります。ただこれらは比較的小さいコストなので、売り手として特に留意すべきは譲渡所得税と法人税の二重課税あたりになります。
契約書のチェックポイント
会社売却の最終契約書(株式譲渡契約書・事業譲渡契約書)は、非常に重要な法的文書です。専門家を交えて細部までチェックする必要があります。特に以下のポイントには注意しましょう。
• 取引の基本条件: 契約書の冒頭で、売買の対象(株式〇〇株、事業資産一式など)および価格、支払方法、クロージング日など基本事項が定められます。価格が何を基準にして決まるか(固定額か純資産調整ありか)、支払い通貨・方法(銀行振込一括等)、支払い期日、クロージング要件(例:株主総会承認や関係先同意取得など前提条件)などが明確か確認します。もしクロージング前に純資産や在庫の増減で価格調整を行う合意がある場合、その算定方法も詳細に書かれますので理解しておきます。
• 表明保証条項: 売り手が契約時点の会社の状態について表明し保証する項目です。例えば「提出した財務諸表は適正である」「重要な訴訟は存在しない」「契約違反状態にない」など多数の項目が列挙されます。売り手はこの表明保証が真実で正確であることを保証し、万一違反があれば損害賠償等に応じる旨が定められます。表明保証事項に誤りがないよう事前に精査し、事実に反する項目があればディスクロージャーレター(開示情報として例外を記載した文書)などで開示し例外扱いとしてもらいます。例えば「実は小さな係争中の訴訟が1件ある」なら、その事実を買い手に通知し、契約上「その訴訟は例外として責任問わない」ようにすることも可能です。表明保証違反は売り手にとって大きな責任リスクなので、契約前に開示すべきことは全て開示しておくのが鉄則です。
• 賠償責任・違約金: 表明保証違反や契約違反があった場合の取り扱いも契約書に定められます。たとえば表明保証違反による損害賠償請求の期間・上限額などです。上限額は通常売却金額程度かそれ以下に制限することが多いです。また違約が悪質な場合の契約解除条項や違約金が設定されることもあります。売り手として許容できる範囲か確認します。
• ロックアップ(役員の在任義務): 売却後に旧経営陣が一定期間留まる義務を課す場合、その期間や役職、報酬などが明記されます。例えば「現社長はクロージング後2年間は取締役会長として在籍し、所定の報酬を支払う」「途中で辞任する場合には買い手の書面同意が必要」等です。これは契約上の義務となるため、期間や内容が無理のないものか、きちんと合意したとおりになっているかチェックします。
• 競業避止・勧誘禁止: 契約には売り手(旧経営者)が一定期間競業しない旨や、従業員や取引先を勝手に引き抜かない旨の条項が含まれます。典型的には「売却後○年間、国内外問わず買い手と同種の事業を行ってはならない」「買い手企業および売却会社の従業員を退職させ自社で雇用する等の勧誘をしてはならない」等です。期間は数年間が一般的で、範囲(地域・業種)の妥当性も確認します。あまりに長期間や広範囲すぎる場合は交渉の余地があるかもしれません。逆に買い手側にも、売り手経営者の名前や個人ブランドを一定期間保護・活用する条項(例えば「旧社長の了解なく勝手に社名やブランド名を変えない」等)は盛り込めることもあります。
• 従業員の雇用条件: 従業員を引き継ぐ場合、その雇用条件に関する取り決めも契約や付帯合意書に記載されることがあります。例えば「買い手は売却会社の全従業員を現行の労働条件で継続雇用する」といった約束です。ただし、実際には買収後の雇用契約は買い手企業と従業員との間で再締結されるので、契約書にはあまり細かくは書かれない場合もあります。いずれにせよ、従業員の雇用維持について買い手がどこまで約束しているかは確認ポイントです。
• 取引先等への通知・承諾: 重要な契約(取引基本契約、フランチャイズ契約など)で相手先の承諾が必要な場合、その対応を誰が行うかを決めます。通常は売り手が責任をもって関係先から承諾を取るか、買い手と連名で通知を出す等の方法を取ります。契約書に「重要取引先○社についてはクロージングまでに譲渡承諾を得る」と条件として書かれることもあります。漏れなく対応できるよう意識します。
• 税務申告と納税責任: クロージング後の税務申告(譲渡益にかかる税の申告や、事業年度途中で株主交代する場合の決算対応など)について、どちらがどのように行うかを規定することもあります。特に事業譲渡の場合、譲渡年度の法人税申告は売り手会社が行う必要がありますし、消費税の分割納付などイレギュラーがある場合は取り決めます。また固定資産税等日割清算事項など細かいものも契約書または別紙で定めます。
• 手数料や費用負担: 仲介手数料等について、どちらが負担するかを明記することもあります。通常は売り手買い手各自が各自のアドバイザー費用を負担します(仲介手数料は売り手・買い手双方から各々受領するケースが多い)。また契約書貼付印紙代は折半など決めることもありますが、額がそれほど大きくなければ慣例に従い負担します。
以上、契約書には専門用語も並びハードルが高いですが、弁護士のサポートを受けつつ、自分でも主要項目は理解しておくことが大切です。後戻りできない最後の詰めの段階ですので、不明点はそのままにせず一つ一つ確認しましょう。幸い、経験豊富なM&A弁護士であれば中小企業M&Aで頻出の論点は熟知していますので、任せられるところは任せ、自分はビジネス判断に集中するとよいです。
高く売るためのコツ
どうせ会社を売るなら、できるだけ高い評価額で売却したいと思うのは当然でしょう。ここでは、少しでも企業価値を高め、買い手から高く評価してもらうためのポイントを紹介します。日頃からの経営改善に通じる内容も多いですが、M&Aを意識した具体策を挙げます。
企業価値を高める方法
企業価値(エンタープライズバリュー)は主に「将来生み出すであろう利益」と「ビジネスの安全性・成長性」で評価されます。高値で売却するには、買い手に「この会社は利益を生み出しやすく、リスクが低く、さらに伸びる」と思わせることが重要です。以下の観点で自社の価値向上を図りましょう。
• 収益力・成長力のアピール: 最近数年間の業績が右肩上がりであれば理想的です。難しい場合も、将来の成長余地を示す計画や市場環境の追い風を説明できるようにします。独自の強み(技術・ブランド・顧客基盤)が業界で高く評価されていることや、新商品・新サービスの計画など、今後の伸びしろを裏付ける資料を用意しましょう。また、売上に占める利益率(営業利益率など)を業界平均より高く維持する努力も有効です。利益率が高いほど買い手は将来的なキャッシュ創出力が高いと判断し、価値評価が上がります。
• 顧客・市場の安定性: 例えば売上の大部分を占める大口顧客が1社だけという状況だと、もしその顧客を失えば業績が急落するリスクがあります。理想的には顧客ポートフォリオが分散しており、一社依存でない方が評価は高くなります。可能であれば複数の主要顧客との関係強化、新規顧客の開拓などでリスクを下げましょう。また、市場自体が成長している(将来性がある)分野に属しているかも重要です。自社の属する業界のポジティブなデータや市場予測などを示し、「今後も需要が見込める事業である」ことを買い手に理解してもらいます。
• 経営の属人性を下げる: 中小企業では「社長が現場のキーマンで社長なしでは回らない」ことが多いですが、その属人的な部分をできるだけ減らすことが価値向上につながります。たとえば社長だけが握っていた顧客関係を営業部長にも引き継いでおく、技術者にしか分からなかったノウハウをマニュアル化する、特定社員だけに依存する業務をチーム制にする、などです。経営者や特定人物が抜けても事業が継続できる仕組みを作れば、買い手は安心して引き継げます。属人性が高いままだとロックアップ期間を長く要求されたり、評価減点の理由にもなりえます。
• コーポレートガバナンスの整備: 小さな会社でもガバナンス(企業統治)やコンプライアンス意識が高い方が評価はプラスです。具体的には、取締役会や株主総会の議事録をきちんと作成・保存している 、就業規則や各種社内ルールが整備されている、会計処理が適正である、労務管理がきちんと行われている等です。意外に思われるかもしれませんが、非上場の中小企業では基本的な株主名簿や議事録すら整備されていない例もあり、DDで判明して信用を失うことがあります 。「小さいから適当で良い」は通用しません。今からでも株主名簿や各種議事録を整理し、問題があれば専門家の助けを借りて整備しましょう 。ガバナンスがしっかりした会社は買い手に「管理能力が高くトラブルが少ない」と映り、安心材料となります。
• 知的資産・人材の価値: 金銭的な数字以外にも、特許・商標・ブランド・許認可・ノウハウといった目に見えない資産や、人材・組織力なども企業価値の重要な構成要素です。特許や資格が事業の要ならきちんと権利登録し、整理して価値を伝えます。社員の離職率が低く優秀な人材が揃っているなら、それもアピールポイントです。逆に従業員満足度が低く不満が多いと買い手は引き継ぎ後に人が辞めるリスクを懸念するため、職場環境の改善や社員とのコミュニケーションも大切です。「この会社を買えばこんな良い資産(人材・技術・ブランド)が手に入る」と思わせることが高値につながります。
まとめると、企業価値を高める=業績の安定と将来性の演出+リスク要因の低減です。すぐに利益を倍増させるのは難しくても、見せ方を工夫したり、マイナスを減らす努力で評価は確実に向上します。M&Aを意識しながら日々の経営改善に取り組むことが、結果的に高く売れることに直結します。
財務改善のポイント
企業価値向上と重なる部分もありますが、特に財務面で高値売却につなげる具体的なポイントを挙げます。
• 決算書のクリーン化: 中小企業では、節税やオーナーの個人的事情で決算書上あまり利益を出さないよう調整していることがあります(オーナーの役員報酬を高額にする、経費を多めに計上するなど)。しかし会社売却を見据えるなら、決算書はできるだけきれいにし、実力利益を出す方が有利です。買い手は過去の決算書を元に評価しますから、利益が少なければそのぶん価格も低く見積もられます。役員報酬の適正化や不要な経費の削減で利益をしっかり計上するようにしましょう。また棚卸資産の過大評価や引当金の計上漏れなどがあれば、修正して実態を反映させます。いわゆる粉飾決算は論外ですが、合法的な範囲でも不自然に利益を圧縮している部分は見直すべきです。
• 不要資産・負債の整理: 買い手にとって価値のない資産(遊休不動産、過剰な在庫、不要な車両など)が多いと、その分マイナス要因になります。同様に、不透明な仮勘定やオーナーへの貸付金などが残っているのも印象が悪いです。売却前に不要資産は処分し、貸付金や借入金も可能な範囲で整理しましょう。特にオーナーへの貸付金やオーナー個人の使途不明金などは、「オーナー経営の弊害」と見られ評価ダウンにつながります。買い手から指摘される前に解消しておきます。逆に、オーナーが会社に貸し付けている借入金がある場合は、それも考慮して売却交渉する必要があります(返済してから売るか、売却代金で相殺するか等)。
• 適正な資本構成: 自社の財務バランスも見直しましょう。自己資本比率が極端に低く借入過多だと、安定性に欠ける印象になります。可能であれば増資や利益剰余金の積み増しで自己資本を厚くしたり、借入金を一部返済しておくのも良いでしょう。ただし、無理に増資するとオーナー持株比率が変わったり税務上問題になる場合もあるので、専門家と検討します。また、取引金融機関との関係(保証解除の協力等)も売却時に必要なので、良好に保っておくことも大切です。
• キャッシュフローの改善: 現金収支を健全化しておくことも重要です。売上債権の回収サイト短縮や在庫回転の向上、仕入支払条件の見直しなどで運転資本を圧縮し、キャッシュフローを潤沢に保ちます。買い手は将来得られるキャッシュフローを重視しますので、営業キャッシュフローがプラスで安定していることは高評価につながります。また現預金が多く残っていれば、その分も価格に上乗せ要素となります(株式譲渡の場合は会社の現預金も丸ごと引き継ぐためです)。ただし現金を残しすぎても買い手が「そんなに現金要らない」と減額交渉してくることもあり得ますので、適切な範囲での話です。
• 赤字でも諦めない: 仮に直近赤字であったとしても、改善策を示し買い手に付加価値を伝える努力をしましょう。赤字だからといって必ずしも売却不可ではありません。実際、債務超過や赤字でも買い手が付いた例はあります 。その場合、技術や顧客ベースなどに価値が認められています。重要なのは「なぜ赤字なのか」「買い手に引き継げば黒字化する見込みがあるのか」を明らかにすることです。無駄なコストが原因なら買い手の効率化で改善可能ですし、単に一時的投資で赤字なら翌期以降改善されるでしょう。赤字でも売却を検討してみる価値はあります 。買い手視点で「自社が買えば利益を出せる」と思わせられれば、十分勝算はあります。
これら財務面の改善は、短期では難しいものもありますが、できる範囲で整えておくと交渉時に有利です。実際、企業価値評価ではEBITDA(税引前利益+減価償却)×乗数で算定されることが多いです。EBITDAを1億円から1.2億円に改善できれば、仮に乗数5倍なら5億円が6億円になる計算です。小さな改善が売却価格に大きく跳ね返る可能性もあるので、侮れません。逆に、隠れた負債や粉飾があれば大幅減額か取引中止です。財務の透明性と健全性を高めることが、高値売却と成功の近道と言えるでしょう。
専門家の活用方法
会社売却は専門的な作業が多く、経営者だけで完結するのは困難です。適切な専門家を活用して、プロセスを円滑かつ有利に進めることが重要です。ここでは、代表的な専門家であるM&A仲介会社と弁護士・税理士の上手な活用ポイントについて解説します。
M&A仲介会社の選び方
中小企業のM&Aでは、M&A仲介会社(アドバイザリー会社)に依頼するのが一般的です 。仲介会社は売り手と買い手のマッチングを行い、交渉や手続きもサポートしてくれます。ただし仲介会社にも様々なタイプがあり、その選定次第で得られる結果が大きく左右されます 。選び方のポイントは以下の通りです。
• 実績と得意分野の確認: 仲介会社によって、得意とする業種・企業規模や地域があります。自社の業種や規模にマッチした実績があるか確認しましょう。例えば製造業のM&Aに強い会社、IT業界専門の会社、地方企業に強い会社など特色があります。公式サイトや問い合わせで過去の成約事例を聞き、自社に近い案件を扱った経験が多い会社を選ぶと良いでしょう。また成約件数や在籍アドバイザーの経験年数なども参考になります。
• ネットワーク(買い手候補の幅): 仲介会社がどれだけ広い買い手ネットワークを持っているかも重要です。大手仲介会社は数万社規模の買い手データベースを持ち、金融機関や投資ファンドとも連携があるため、多様な候補を紹介できる強みがあります。一方、小規模な仲介者でも独自のネットワークでピンポイントに良い相手を見つけるケースもあります。自社の業界で有力な買い手候補にアクセスできそうかという観点で見ると良いでしょう。「〇〇業界ならあの仲介会社が強い」といった評判もあります。また海外企業への売却可能性がある場合はクロスボーダーのネットワークがある会社が望ましいです。
• 担当者との相性と提案力: 実際に窓口となるアドバイザー(担当者)との相性は見逃せません。信頼できる人か、こちらの意図を正しく汲んで動いてくれそうか、見極めましょう。最初の相談や打ち合わせで、どれだけこちらの事情や希望を理解し的確な提案をしてくれるかが判断材料になります。「この担当者なら任せられる」と思えるかどうかです。また、自社の強み・価値を引き出す提案や、逆に問題点への対処法を積極的に示してくれるような提案力のある仲介会社は頼もしいパートナーとなります。
• 手数料体系の確認: 仲介会社の成功報酬(レーマン方式など)が相場範囲か確認します。一般的には取引額の◯%(段階別)ですが、あまりに高額だと手取りが減ってしまいます。着手金や中間金の有無もチェックします。最近は完全成功報酬型が主流ですが、中には着手金や月額報酬を求める会社もあります。総額で納得できるフィーか事前に契約書で確認しましょう。ただし安ければ良いというものでもなく、安い会社が買い手探しを積極的にやってくれないケースもあるので、費用対効果で判断します。
• 守秘義務と信頼性: 仲介会社には機密情報を預けることになるため、信頼性が重要です。秘密保持契約はもちろんですが、過去に情報漏えいの問題がなかったか、上場企業系列や有名企業なら比較的コンプライアンスは安心ですが、無名の仲介者の場合は評判を調べると良いです。最近はM&A仲介も乱立気味なので、中には強引な営業やコンプライアンス軽視の所もあると言われます。迷ったら、金融機関や顧問税理士などに紹介してもらうのも一つの方法です。
選定に悩む場合、複数の仲介会社に最初の相談をしてみることをおすすめします。各社の対応を比較することで、違いが見えてきます。最終的には「この仲介会社なら自社を任せられる」という確信を持って契約しましょう。なお、一度に複数の仲介会社と契約するのは基本的にNGです(情報が錯綜したり重複接触で混乱するため)。最初は話を聞き比べ、信頼できる一社に絞って正式に依頼するのが原則です 。
仲介会社と契約後は、二人三脚でプロジェクトを進めることになります。情報提供や社内調整など協力すべきことは積極的に行い、逆に仲介会社には遠慮なく要望や質問を伝えましょう。良いパートナーを得られれば、売却成功に向けて心強い支援者となってくれるはずです。
弁護士・税理士の活用ポイント
M&A仲介会社が交渉面やマッチングをリードする一方で、弁護士や税理士(会計士)といった専門家のサポートも不可欠です。これらの士業専門家は、仲介会社には踏み込みづらい法律・税務の領域で頼りになります。
• 弁護士(法律顧問・M&A弁護士): 契約実務や法務リスクのチェックのプロです。できればM&Aに精通した弁護士を起用しましょう。仲介会社は法的な助言はできないため、弁護士がついて契約ドラフトのレビュー・修正提案、表明保証のチェック、クロージング手続きの法的段取りなどをサポートしてくれると安心感が違います。特に雇用・労務や知的財産、許認可など業界特有の法務課題がある場合、専門知識で助言してくれます。弁護士費用は発生しますが、数千万円〜数億円の取引をするのにリーガルチェックなしは危険すぎます。弁護士は売り手側・買い手側双方がそれぞれ立てるのが普通です。仲介会社経由で紹介してもらっても良いですし、自社で顧問弁護士がいればその人に頼んでも構いません(ただしM&A経験が少ない顧問弁護士なら、M&Aに強い弁護士を紹介してもらうと良いでしょう)。弁護士には、契約書のレビューだけでなく、デューデリジェンス対応や交渉同行など広く関与してもらえます。紛争なく安全に取引をまとめるため、弁護士の知見を十分活用しましょう。
• 税理士・会計士(財務アドバイザー): 税務面や財務面のアドバイスは、仲介会社だけではカバーしきれない部分です。会社売却でどのくらい税金を取られるか試算したり、どのように節税対策を講じるか、税理士の助言が有用です。たとえば株式譲渡益に対する税額計算や、事業譲渡時の消費税・法人税の扱い、オーナー個人の相続税対策との兼ね合いなど、総合的な視点が必要です。また会計士であれば、自社の企業価値算定(バリュエーション)を独自に試算して、提示価格が妥当か検証することもできます。大企業のM&AではFA(フィナンシャルアドバイザー)が付きますが、中小企業でも必要に応じて税理士・会計士にスポットで相談すると良いでしょう。顧問税理士がいるなら早めに「会社を売るかもしれない」と伝えておき、節税策など準備してもらうのも手です。
• その他の専門家: 場合によっては司法書士(株式や不動産の名義変更登記)、弁理士(特許や商標の移転手続き)、社労士(社会保険手続き)などの専門家の力も必要になります。ただ、これらは必要時に弁護士や仲介会社経由で手配してもらえることが多いです。メインはやはり弁護士・税理士になります。
タイミングとしては、基本合意契約を結ぶ前後までには弁護士と税務の専門家に当たっておくのが望ましいです。基本合意書の内容から既に法務チェックは必要ですし、最終契約に向けては尚更です。費用面が気になるかもしれませんが、M&Aに強い弁護士・税理士は中小企業案件でも増えてきており、報酬も比較的柔軟に対応してくれる場合があります。成功報酬に連動させることもできますし、契約書の作成・レビューだけなら定額のパッケージ料金を提示しているところもあります。
仲介会社と違い、弁護士や税理士は売り手側の代理人として完全にこちらの利益を代表してくれます。特に弁護士は「言いにくいことを代弁してくれる」存在です。交渉の場面で法的な観点から強く主張すべき点があれば、弁護士に言ってもらうことで角が立たずに済むこともあります。また、契約書の専門用語だらけの条項も噛み砕いて説明してくれるので、理解が進みます。
重要なのは、専門家任せにしすぎず自分も基本を把握することですが、自分一人では限界があります。各分野のプロをうまく巻き込みチームで臨むことで、安心感が格段に上がりますし、結果的により良い条件を引き出せることにつながります。遠慮なく彼らの力を借りましょう。
よくある質問(Q&A)
最後に、「会社を売りたい」と考える経営者の方からよく聞かれる疑問や不安点についてQ&A形式でまとめます。
• Q: 売却完了までにどれくらい時間がかかりますか?
A: 会社売却のプロセスは一般的に6か月~1年程度かかることが多いです。もちろんケースバイケースで、早ければ数か月でまとまることもありますし、難航すれば1年以上かかることもあります。目安として、準備・資料整備に1~2か月、買い手探しに数か月、交渉・DD・契約に3か月前後、といった流れです。相手探しが順調で条件交渉もスムーズなら半年未満で終わることもありますが、余裕を持って1年前後は見込んでおきましょう。良い条件で売るには時間をかけた方が有利なので、「◯月までに絶対売りたい」と急ぎすぎると交渉力が下がってしまいます。逆に悠長に構えていると業績が悪化したり環境が変わるリスクもあるため、タイミングを逃さず迅速に動きつつ、プロセス自体は腰を据えて取り組む姿勢が大切です。
• Q: 会社の売却価格(企業価値)はどうやって決まるのですか?
A: 企業価値の算定にはいくつかの方法がありますが、中小企業では利益水準に基づく評価がよく用いられます。例えば「年平均利益(またはEBITDA)×業界の相場倍率」という算定です。業界によって異なりますが、たとえばEBITDAの5倍とか、税後利益の3~5年分といった具合です。また純資産額(株主資本)に着目する方法や、将来のキャッシュフローを割引現在価値にするDCF法などもあります。ただ中小企業の場合、将来予測が難しいため直近の業績や純資産をベースに調整して決めることが多いです。買い手は複数の方法で試算した上で、「この価格なら投資回収できるか」「他の候補との比較」なども考慮して提示額を決めます。最終的には市場原理(需給バランス)も影響します。複数社が欲しいと思えば競り上がりますし、一社しか興味を示さなければ買い手主導になります。したがって高値で売るには複数の買い手候補を引き付けることも重要です。自社の大まかな価値を知りたい場合は、M&A仲介会社が提供している簡易査定サービスやシミュレーションを利用してみるのも良いでしょう。
• Q: 赤字の会社や債務超過の会社でも売却できますか?
A: 可能な場合もあります。赤字や債務超過だからといって必ずしも価値がないとは限りません 。重要なのはその会社に他社が欲しがる強みや資産があるかです。例えば、優良な顧客基盤、他社に無い技術や製品、希少な許認可やブランド、将来性のある事業モデルなどがあれば、現状赤字でも「自社が買えば立て直せる」「相乗効果で黒字化できる」と判断する買い手はいます。実際、債務超過企業がM&Aで救済され再建した例もあります。ただし当然ながら黒字会社に比べれば買い手は限定され、価格も低めにはなります(場合によっては0円譲渡や負債引受分マイナス価格になることもあります)。それでも、廃業すれば従業員も職を失い債権者にも迷惑がかかるのに対し、譲渡できれば事業継続が図れます。赤字企業の売却では、まず不採算の原因を分析し改善計画を示すこと、債務が多い場合は金融機関との調整(債務免除や返済猶予等)もセットで検討する必要があります。専門の再生ファンドや事業再生に強い仲介会社に相談すると道が開けるかもしれません。「赤字=売れない」と諦めず、何らかの価値を見出してくれる相手を探してみる価値はあります。
• Q: 従業員や取引先にはいつ、どのように伝えるべきですか?
A: 原則として、従業員や主要取引先へは最終契約締結後に速やかに伝える形になります。交渉中は秘密保持のためごく一部のキーパーソン以外には伏せて進め、契約が確定した段階で発表するのが一般的です 。社内リークを防ぐため、社長の他にはごく少数(後継予定者や経営企画担当など)しか事前に知らされないことも多いです。発表の際は、社内から先に行います。社長が全従業員を集めて直接説明できれば理想です。難しければ部署ごとにミーティングを開くなどして、会社売却の理由と今後の方針を丁寧に説明しましょう。「なぜ売却を決断したのか」「従業員の雇用や待遇はどうなるのか」「新しい親会社はどんな会社か」「今後の会社のビジョン」など、社員が不安に思う点をカバーする内容が望ましいです。社員への周知はできれば買い手側の新経営者(新社長予定者)にも同席してもらい、直接言葉を伝えてもらうと安心感が生まれます。また質疑応答の場を設け、不安や疑問に答えることも大切です。取引先への通知も同様に、契約後速やかに行います。主要顧客や仕入先には社長自ら挨拶に行き報告するのが望ましく、その他取引先には書面(社名変更や代表者変更の案内を兼ねる)で通知します。ポイントは、社員・取引先とも事前に噂で知るのではなく公式発表で知るようにすることです。情報が漏れて先に広まると、不信感や混乱を招きます。タイミングと周知方法は買い手とも協議して決め、万全の体制で行いましょう。
• Q: 会社売却の過程で情報漏えいのリスクはありますか?
A: ゼロではありませんが、対策を講じて進めるので通常は防げます。M&A仲介会社や候補先企業とは必ず秘密保持契約(NDA)を締結してから情報開示しますし 、社名を伏せたノンネーム情報で打診するなど工夫します。候補企業も秘密は厳守するのが前提です。ただ、人が関わる以上絶対はありません。例えば社内で知っている役員や従業員から漏れるケース、候補先が別ルートで噂を聞きつけるケースも考えられます 。これを防ぐには、関係者を最小限に絞り、情報管理ルールを徹底することです。仲介会社にも「特定の企業にはまだ声をかけないで欲しい」とリクエストすることもできます。また、仮に漏れた場合でも慌てず対処することも必要です。噂が広まったら早めに社員や取引先に事実を説明しフォローするなどリスクヘッジも考えておきます。とはいえ、きちんと信頼できる仲介会社を選びプロセスを踏めば通常は秘密は守られます。大多数のM&A案件は誰にも知られずにクロージングを迎えているので、過度に心配しすぎず、しかし用心は怠らないというスタンスで臨みましょう。
• Q: M&A仲介会社の手数料はどれくらいかかりますか?
A: 仲介会社の手数料は成功報酬型が一般的で、売却が成立した際にのみ料金が発生します。相場としてはレーマン方式と呼ばれる料率で、取引金額に一定率を乗じた額です。典型的には次のような階段式です:
取引額5億円以下の部分:5%(例:3億円なら5%の1500万円)
5億円超~10億円の部分:4%
10億円超~50億円の部分:3% … といった具合で、高くなるほどパーセンテージが下がります。中小企業の場合、大半が5億円以下〜数億円規模なので、手数料5%前後と考えておけば良いでしょう。例えば売却額2億円なら約1000万円、5億円なら約2500万円が成功報酬となります。これに加えて、着手金(数百万円)や月額報酬を設定する会社も一部ありますが、近年は成功時のみという所も増えています。契約前に見積もりを出してもらい、総額いくらになりそうか確認しましょう。また注意点として、負債引受額も含めて手数料計算する仲介会社もあります。つまり株式の売買額が0円でも、買い手が負債◯億円引き受けた場合それを含めて手数料計算する契約だと費用が発生します。そうしたルールも事前に説明を受けて納得しておくことが大切です。なお、仲介手数料の支払いタイミングはクロージング後が基本ですが、基本合意時に中間金を請求するところもあります。いずれにせよ契約書をよく読み、不明瞭な点は質問し、必要なら交渉しましょう。複数社で競わせると手数料を割引してくれる場合もあります。ただ、費用だけでなくサービス品質も勘案して決めるべきで、あまりに安い会社に頼んで結局売却できなければ本末転倒です。相場範囲で適正な手数料なら、それを支払ってでも良い条件を引き出してもらえるよう尽力してもらう方が得策と言えます。
• Q: 会社売却後、元経営者はどうなりますか?
A: 売却後の元経営者(オーナー社長)の身の処し方はケースバイケースです。多くの場合、いったんは会社に残って役職に就くか顧問的立場になることが多いです。これは前述したロックアップ条項によるものですが、買い手側としてはスムーズな引継ぎのため一定期間は残ってほしいと考えるからです 。例えば2~3年は非常勤の取締役や顧問となり、月に何日か出社して新経営陣に助言する、といった形です。その間に徐々にフェードアウトしてもらい、ロックアップ期間終了をもって正式に退任・退社するのが一般的な流れです。もちろん、売却時の契約で何も残留義務を課されなければ、すぐ完全引退もあり得ます。ただし中小企業では前オーナーが突然いなくなると現場が混乱するため、よほど引継ぎ万全でない限り短期間でも残留するケースが多いです。退任後は、晴れて自由な身です。もともと引退目的で売却したなら、その後は悠々自適に過ごしたり、新たな事業やボランティアに挑戦する人もいます。一方、競業避止義務がある場合は一定期間同業での起業は制限されますので注意が必要です。なお、売却後に相談役的に買い手グループで別の役割を依頼されることも稀にあります(例えばグループ他社の役員に迎えるなど)。しかし基本は経営の第一線からは退くことになるでしょう。会社の看板や借入個人保証などからも解放されますので、第二の人生を歩む準備をしておくことも大切です。売却プロセスに全力を尽くすのはもちろんですが、そのゴールの先にある自分自身の生活設計も描いておくと、安心して次のステージに臨めます。
以上、Q&A形式でよくある疑問に回答しました。他にも細かな疑問が出てくるかもしれません。その都度、仲介会社や専門家に確認しながら進めれば不安も解消されるでしょう。
まとめ
「会社を売りたい」という決断は、経営者にとって人生でも大きな節目となる決断です。昨今の事業承継ニーズの高まりやM&A市場の活況を背景に、会社売却は珍しいことではなくなりました。会社を譲渡することは、決してネガティブな行為ではありません。むしろ、後継者難の時代においては会社を未来につなぐ積極的な戦略であり、経営者ご自身や従業員、取引先にとっても新たな可能性を開く手段と言えます。
記事を通じて、会社売却のメリット・デメリット、具体的な流れや成功のポイント、注意すべき税務・法務、そして高く売るためのコツや専門家の活用方法まで包括的に解説しました。重要なポイントを振り返ってみましょう。
• 事前準備がすべての基本です。売却の目的を明確にし、社内の意識統一や資料整備をしっかり行いましょう。時間に余裕を持って取り組むことで、理想の相手に巡り合う確率が高まります。
• メリットとデメリットを正しく理解し、デメリット面の対策を講じておくことが必要です。存続や個人保証解消といった大きなメリットを得る一方、経営権喪失や条件面の制約などもあるので、心構えと対策を準備しましょう。
• 売却プロセスは段階ごとに着実に進めます。仲介会社選びから始まり、買い手選定、交渉、契約、引継ぎと続きます。それぞれのフェーズでプロの助言を仰ぎつつ、主体性を持って進めることが成功の秘訣です。
• 成功事例からは誠実さと準備、失敗事例からは慢心や油断の怖さを学べます。特に後者を他山の石とし、情報漏えいや内部不一致など起こさないよう細心の注意を払いましょう。
• 税金や契約といった専門分野も避けて通れません。譲渡所得税は約20%、株式譲渡と事業譲渡で課税が異なる点など基本を押さえ、契約書レビューでは弁護士の力を借りながら重要条項を確認します。
• 企業価値向上のためには、日頃から業績アップとリスク低減に努めましょう。財務をクリーンにし、強みを伸ばし、弱みを補正しておくことで、いざという時に高い評価を受けられます。
• 専門家の知恵を借りることを躊躇しないでください。信頼できるM&A仲介会社をパートナーに選び、さらに法務・税務のプロにもサポートしてもらえば百人力です。一人で抱え込まずチームで臨むことが最善の結果に結びつきます。
最後に、会社売却はゴールではなく新たなスタートでもあります。売却によって会社は新しいオーナーの下で存続・発展し、経営者は次の人生を歩み始めます。その意味で、会社を良い形で未来につなぐという大仕事を成し遂げるわけです。大切に育ててきた会社を手放すのは簡単な決断ではないでしょう。しかし、だからこそベストな選択肢を選び抜き、万全の準備で臨んでください。本記事の内容が、その助けになれば幸いです。
事前準備と適切な助言者の力を得てプロセスを踏めば、きっと「この道を選んで良かった」と思える結果が得られるはずです。会社を譲ることは、未来へのバトンタッチ。新しいステージへ向かう一歩を、自信を持って踏み出してください。あなたの会社とそこで働く人々が、これからもより良い未来へと続いていくことを願っています。
プライマリーアドバイザリー株式会社
代表取締役 内野 哲
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