SES事業のM&A事例:TWOSTONE&SonsによるFAM買収 — 1億3700万円の「企業価値評価(バリュエーション)」

 2025年11月、ITエンジニア支援市場で注目すべきM&A(企業の合併・買収)が公表されました。フリーランスエンジニアのマッチングサービスを展開するTWOSTONE&Sons(以下、T&S社)が、システムエンジニアリングサービス(SES)を手掛けるFAM(以下、FAM社)を子会社化するという発表です。

 M&Aアドバイザーの視点から、このディール(取引)を「バリュエーション」と「スキーム」という2つの主要な軸で深掘りし、その戦略的意義と実務的な論点を、専門用語の解説を交えながら詳細に解説いたします。


目次

1. M&Aの背景:なぜ「今」、T&S社はFAM社を選んだのか

 M&Aの分析は、常に「Why(なぜ)」から始まります。本件の核心は、現代の日本経済、特にIT業界における最大の経営課題である「高度IT人材の確保」にあります。

  • T&S社(買手)の戦略: 同社の中核事業は「フリーランスエンジニアと企業のマッチング」です。これは、企業がプロジェクト単位で即戦力人材を求めるニーズに応えるものです。しかし、このビジネスモデルは「登録するエンジニアの数と質」に大きく依存します。市場が拡大すればするほど、競合他社との人材獲得競争が激化します。
  • FAM社(売手)の強み: 一方、FAM社はSES(ITエンジニアを顧客企業に常駐させるサービス)を営みつつ、特に「エンジニア未経験者の採用・育成」に独自のノウハウを持つとされています。

 この組み合わせが意味するものは明確です。T&S社は、「即戦力(フリーランス)」に加えて、「育成途上(FAM社の正社員エンジニア)」という新たな人材パイプラインを手に入れることができます。

 FAM社が持つ「育成ノウハウ」は、T&S社のプラットフォームと融合することで、未経験者をフリーランスとして活躍できるレベルまで引き上げる「教育機能」として昇華される可能性があります。これは、自社で人材の「供給源」を持つことに他ならず、極めて強力なシナジー(相乗効果)と言えます。


2. M&Aの核心:「企業価値評価(バリュエーション)」の技術

 M&Aにおいて最も重要なプロセスの一つが、対象企業の「値決め」、すなわちバリュエーションです。これは「買手」と「売手」が、客観的な根拠に基づき、双方が納得できる「取引価格」のレンジ(範囲)を探る作業です。

(1) バリュエーションの3つのアプローチ

 企業の価値を測る手法は、大きく以下の3つに分類されます。専門家は、どれか1つに依存するのではなく、複数の手法を組み合わせて多角的に価値を分析します。

① インカム・アプローチ(Income Approach)

将来その企業が生み出すであろうキャッシュフロー(現金)や利益に着目し、それを「現在価値」に割り引いて評価する手法です。理論的に最も正当化されやすいアプローチです。

  • 代表的手法:DCF法 (Discounted Cash Flow)
    • 企業の将来の事業計画に基づき、将来のフリー・キャッシュフロー(FCF)を予測します。
    • そのFCFを、WACC(加重平均資本コスト)と呼ばれる割引率で「現在」まで割り引いて、事業価値(EV)を算出します。
    • WACC (ワック) とは: 企業が事業を運営するために調達する「株主資本(自己資本)」と「負債(他人資本)」にかかるコストを加重平均したものです。M&Aの文脈では、買収対象のリスクを反映した「期待収益率」として機能します。

② マーケット・アプローチ(Market Approach)

評価対象の企業と「類似する上場企業」や「類似するM&A取引」と比較して、相対的な価値を評価する手法です。市場の客観的な評価を反映しやすいのが特徴です。

  • 代表的手法:類似会社比較法 (Comps / Multiples)
    • 上場している類似企業(本件であれば、他のSES企業やIT人材派遣企業)を複数選びます。
    • それらの企業の株価が「利益(PER)」や「EBITDA(EV/EBITDA倍率)」の何倍で取引されているかを分析し、その「倍率(マルチプル)」をFAM社の財務数値に適用します。
    • EBITDA (イービットディーエー) とは: 営業利益に、減価償却費(実際のキャッシュ支出を伴わない費用)を加えたもので、企業が本業で稼ぐ「現金創出力」を測る指標として多用されます。

③ コスト・アプローチ(Cost Approach)

企業の「純資産(資産から負債を引いたもの)」に着目する手法です。いわば、その企業を「今、解散させたらいくら残るか」という清算価値的な側面から評価します。

  • 代表的手法:簿価純資産法 / 時価純資産法
    • 貸借対照表(B/S)上の純資産をベースにします。
    • ただし、M&Aの実務では、B/Sに記載の「簿価」ではなく、土地や有価証券などを「時価」で評価し直した「時価純資産」を基準とすることが一般的です。

(2) FAM社のケース:公表情報から読み解くバリュエーション

 今回のディールで公表されている情報を整理してみましょう。

  • FAM社の財務(2024年10月期)
    • 売上高:4億8900万円
    • 営業利益:2800万円
    • 純資産:4800万円
  • 取引価額
    • 取得価額:1億3700万円(これで株式80%を取得)

 ここから、FAM社全体の「100%の株式価値」を逆算してみます。

FAM社の100%株式価値(推計): 1億3700万円 ÷ 80% = 約1億7125万円

 T&S社は、FAM社全体を「約1億7100万円」の価値と評価したと推察できます。では、この「1億7100万円」は、前述のバリュエーション手法に照らしてどう評価できるでしょうか。

① コスト・アプローチ(純資産)との比較

  • FAM社の純資産:4800万円
  • 推計された株式価値:1億7125万円
  • PBR(株価純資産倍率)に類似する倍率: 1億7125万円 ÷ 4800万円 = 約3.57倍

 これは、解散価値(純資産)の約3.6倍の価格で取引されたことを意味します。この「差額」こそが、M&Aの核心である「のれん」の源泉です。

② インカム/マーケット・アプローチ(利益)との比較

  • FAM社の営業利益(EBITに近い):2800万円
  • 営業利益倍率(EV/EBIT倍率の簡易計算): 1億7125万円 ÷ 2800万円 = 約6.1倍 (※厳密には株式価値と事業価値(EV)は異なりますが、ここでは中小企業M&Aで多用される簡易的な倍率として計算します)

 SES業界やIT人材関連のM&Aにおいて、営業利益の6倍程度という水準は、市況や企業の成長性にもよりますが、十分に合理的(むしろ堅実)な範囲内にあると筆者は評価します。

(3) M&Aで最も重要な概念:「のれん(Goodwill)」とは

バリュエーション分析で最も重要な示唆は、「のれん」の存在です。

のれん(Goodwill)とは: 買収対価が、買収される企業の「時価純資産」を上回る部分(超過額)を指します。 これは、帳簿には載らない「超過収益力」や「無形の資産価値」に対する対価です。

今回のケースで「のれん」の概算額を計算してみましょう。

「のれん」の概算: 推計株式価値(1億7125万円) – 純資産(4800万円) = 約1億2325万円

 T&S社は、FAM社の「帳簿上の価値(4800万円)」に、約1億2300万円もの「無形の価値」を上乗せして支払ったことになります。この「のれん」の正体こそが、FAM社が持つ「未経験者を採用・育成する独自ノウハウ」「既存の顧客基盤」「優秀なエンジニア従業員」そして何より、T&S社の事業と組み合わさることで生まれる「シナジー(将来の収益拡大)」への期待です。

 M&Aは、単に過去の実績(純資産)を買うのではなく、未来の可能性(のれん)に投資する行為なのです。


3. プロが注目する「M&Aスキーム」の巧みさ

本件は、その「買い方(スキーム)」においても非常に洗練された設計がなされています。

公表されたスキーム:

  1. 2025年12月25日: FAM社の株式80%を取得(対価:1億3700万円)
  2. 2025年12月26日: 残る20%を「株式交換」で取得し、完全子会社化

この「2段階取得(Two-Step Acquisition)」、特に2段階目で「株式交換」という手法を用いている点が、実務家としての注目ポイントです。

(1) 「株式交換(Kabushiki Kokan)」とは

株式交換とは: 買収(親)会社が、対象(子)会社の株主から、その保有する株式を「現金」ではなく「自社(親会社)の株式」を対価として交付(交換)し、買い取る手法です。 これにより、子会社を100%(完全)子会社化することが可能になります。

(2) なぜこのスキームが選ばれたのか?

 この80%(現金) + 20%(株式交換)というスキームには、買手と売手の双方にとって非常に合理的な理由があります。

① 売手(FAM社オーナー)側のメリット

  1. 税制上の優遇(課税の繰延べ): これが最大の理由の一つと推察されます。通常、株式を売却して現金を得ると、その売却益(譲渡益)に対して約20%のキャピタルゲイン税が課税されます。 しかし、一定の要件(組織再編税制)を満たす「適格株式交換」の場合、FAM社オーナーは、対価として「T&S社の株式」を受け取る限り、売却益への課税が将来T&S社の株式を売却する時まで繰り延べられます。売手にとって、手取り額を最大化する上で極めて有利な手法です。
  2. 買手(T&S社)の成長への参加: FAM社オーナーは、売却後も「T&S社の株主」として、両社が一体となって生み出すシナジー(企業価値の向上)の恩恵を引き続き享受できます。これは、売却後も経営にコミットする際の強力なインセンティブ(動機付け)となります。

② 買手(T&S社)側のメリット

  1. 現金支出(キャッシュアウト)の抑制: 100%を現金で買収する場合、推計1億7100万円の現金が必要でした。しかし、本スキームでは、まず1億3700万円(80%)の支出で経営権(コントロール)を確保し、残りの20%は自社の株式(現金支出なし)で取得できます。 上場企業とはいえ、手元流動性を確保しつつ大型のM&Aを遂行する上で、株式交換は非常に有効な手段です。
  2. 完全子会社化(100%支配)の実現: 80%の取得(子会社化)で経営権は握れますが、20%の少数株主が残ると、将来の迅速な経営判断(例:T&S社との合併)において、少数株主保護の手続きが煩雑になる可能性があります。 株式交換を用いて最初から100%(完全)子会社化することで、T&S社はFAM社をグループの一部として完全に一体化させ、シナジーの創出をスピーディに進めることができます。

このように、本件のスキームは、売手の税務メリットとインセンティブを考慮しつつ、買手のキャッシュ負担と経営の自由度を両立させる、非常に実務的かつ合理的な設計と言えます。


4. 結論:未来の価値に投資する、洗練された戦略的M&A

 TWOSTONE&SonsによるFAMの子会社化は、単なる企業の買収劇ではありません。

  1. バリュエーションの観点: FAM社の純資産(4800万円)に対し、100%換算で約1億7100万円という評価額が提示されました。この差額(のれん)約1億2300万円は、FAM社が持つ「エンジニアの育成ノウハウ」という無形の資産と、T&S社との「シナジー」に対する明確な投資です。
  2. スキームの観点: 「80%現金 + 20%株式交換」という2段階取得は、売手オーナーの税務メリットとインセンティブに配慮しつつ、買手のキャッシュアウトを抑え、完全なグループ一体化を迅速に実現する、極めて洗練された手法です。

 本件は、IT業界における人材獲得競争の激化を背景に、M&Aがいかに企業の構造的な課題を解決し、未来の成長ドライバーを「買う」ための有効な戦略ツールであるかを鮮やかに示しています。M&Aは、その価格(バリュエーション)と手法(スキーム)にこそ、経営者の戦略とビジョンが最も色濃く反映されるのです。

プライマリーアドバイザリー株式会社
代表取締役 内野 哲

M&A仲介業、M&Aアドバイザリー。前職は東証プライム上場グループ会社の代表取締役社長として、DX・Webマーケティング支援事業を経営、経営実務としてのファイナンス経験を活かしてM&Aアドバイザリー事業を創業。並行して自己勘定投資会社も経営し、プロ経営者・プロ投資家の双方の視点で顧客の事業価値最大化を支援しています。

経済産業省中小企業庁M&A支援機関登録制度、日本経営財務研究学会(JFA:Japan Finance Association)在籍、東京商工会議所登録。M&Aシニアエキスパート資格保有。

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