建設派遣業のM&A事例:コプロ・ホールディングス<7059>によるトライト株式の取得

 本件(コプロ・ホールディングス<7059>によるトライト株式の取得)は、表面上「取得価額約294億円」「全株式取得」と整理できますが、実務上の本質は“建設派遣事業だけを取り込むカーブアウト(事業切り出し)型の株式取得”です。ここを落とすと、売り手側が価格交渉・条件交渉で必ず損をします。

  • 取得価額:29,243百万円(約292億円強)
  • 取得対象:カーライルが組成するSPCから「トライト」および「トライトエンジニアリング」の全株式
  • 重要構造:トライトグループを「建設事業」と「非建設事業」に分け、非建設事業は吸収分割で別会社へ承継し、建設派遣事業を担う会社群をコプロが取得
  • 参考値:2025年9月LTMの単純合算、Non-GAAP営業利益(営業利益に減価償却費・のれん償却費・株式報酬費用を足し戻す指標)などが開示されています 。

用語補足(売り手が必ず理解すべき最低限)

  • カーブアウト:グループの一部事業だけを切り出して売る取引。会計・税務・契約の「切り分け」が価格に直結します。
  • 吸収分割:会社法上、事業の全部または一部を別会社へ包括承継させる組織再編。カーブアウトで頻出です。
  • Non-GAAP営業利益:会計上の営業利益に、将来の現金支出と必ずしも連動しない費用(例:のれん償却等)を足し戻して“実力”を見ようとする指標です(ただし恣意性が残るため、買い手は必ず中身を精査します)。

目次

重大リスク:カーブアウト案件の価格は「調整条項」で最終的に変わります(危険ポイント)

 売り手が最も誤解しやすいのは、“ニュースに出た取得価額=最終手取り”ではない点です。最終契約(SPA)で、価格は次の論点で動きます。

危険ポイント1:ネットデット(有利子負債−現預金)調整

  • 企業価値(EV)と株式価値(エクイティ)は別物です。
    • EV(企業価値)=事業の価値
    • エクイティ(株式価値)=EV − ネットデット(有利子負債−現預金)±その他調整
  • 取得価額が「株式価値」か「EV」かを取り違えると、倍率の読みが崩れます。

危険ポイント2:運転資本(Working Capital)調整

 人材派遣・紹介は、売掛金(未収入金)と未払(給与・社保・外注)のタイミングでBSが大きく振れます。クロージング基準日に向けて、売り手が無意識に「回収を遅らせる/支払いを早める」だけで価格調整の対象になり得ます。

危険ポイント3:カーブアウト調整(共通費・経営指導料・システム)

 資料では、トライトエンジニアリングの数値について「親会社へ支払っていた経営指導料等を調整」した旨が明記されています。つまり、“単体の利益”は調整で姿が変わるということです。売り手側がこの調整ロジックを説明できないと、買い手は保守的に値切ります。

危険ポイント4:労務・許認可・個人情報=“偶発債務”の温床

建設派遣は、派遣法・職安法・労基法・個人情報保護が価格を左右します。典型例は以下です。

  • 未払残業・固定残業の設計不備
  • 社保の適用漏れ・是正
  • 派遣の適正運用(マージン率、同一労働同一賃金、派遣先管理台帳等)
  • 求人広告・紹介の表示適正
  • 応募者DB・同意管理・委託先管理(漏えい時の損害)

これらは「将来費用」になり、表明保証・補償・エスクロー・価格調整のいずれかに入ってきます。


現実的代替案:売り手が価格を最大化する“設計図”は、倍率表ではなく「論点潰しチェックリスト」です

 結論から言うと、売り手開拓の現場で価値が出るのは、次の2つです。

  1. 買い手がディスカウントに使う論点(調整・偶発債務)を、事前に潰して“価格を守る”
  2. 事業の強みを、買い手のKPI(採用効率、定着率、単価、稼働率)に翻訳して“高い倍率を正当化する”

 本件でも「技術者確保」「スケールメリット」「さらなる業界再編への布石」と、買い手が“高い価格でも合理化できるストーリー”を明確に掲げています。売り手側も、これと同等の“数字で語れるストーリー”を準備できると、交渉の地力が変わります。


バリュエーション(3手法)――本件を素材に「売り手が読むべき見方」を提示します

 以下は、公表情報と開示資料から作る概算レンジです。カーブアウト後の正確なBS(純資産)やネットデット、調整後EBITDAが未開示のため、**前提を置いた上で“筋の良いレンジ”を作ります。(売り手実務では、このレンジの精度をDD資料で上げ、SPAで価格を固定化していきます。)


①純資産法(修正純資産・時価純資産の発想)

計算の基本

  • 株式価値 ≒ 修正後純資産
  • 重要なのは「帳簿の純資産」ではなく、回収可能性・引当・簿外債務を反映した修正後です。

本件の難点(ここが売り手の落とし穴)

ニュース上は、

  • トライト:純資産278億円
  • トライトエンジニアリング:純資産20.6億円
    とありますが、今回の構造は非建設事業を吸収分割で切り離すため、“取引対象に残る純資産”がそのまま278億円とは限りません
    したがって、純資産法は「参考レンジの下限確認」に使い、主戦場は次のEV/EBITDAになります。

それでも作るレンジ(売り手が備えるべき考え方)

  • カーブアウト後に残る純資産(仮置き):200〜320億円
    • ここから、貸倒・未払残業・社保・訴訟等の修正:▲3%〜▲15%
  • 純資産法レンジ(株式価値の目安):170〜310億円

読み方:取得価額約292億円は、純資産法レンジの上側に入り得ます。→ 売り手としては「うちは資産があるから高い」ではなく、“修正で削られない体質(労務・回収・引当・契約)”を先に作るのが正攻法です。


②EV/EBITDA法(最も実務的:事業価値を倍率で測る)

用語補足:EBITDA

  • EBITDA=営業利益+減価償却費(+のれん償却等を加える場合あり)
  • “ざっくり事業のキャッシュ創出力”を見るための指標です。

本件で使える開示のヒント

資料には、2025年9月LTM(Last Twelve Months)の単純合算として

  • 営業利益:5,163百万円
  • Non-GAAP営業利益:5,820百万円
    が示されています(Non-GAAPは減価償却費・のれん償却費・株式報酬費用を足し戻し)。

一方、ニュースの2024年12月期では

  • トライト営業利益:51.8億円
  • トライトエンジニアリング営業利益:18.1億円
    が示されます。

ここで注意点が2つあります。

  1. 2024年値はトライト全体(非建設を含む可能性)
  2. 2025年9月LTM開示は「コプロ+トライトエンジニアリング」の単純合算で、買収対象(トライト建設事業)そのもののEBITDAとは一致しません

それでも、売り手が理解すべき“計算の骨格”を示すために、対象のEBITDAを次のようにレンジ化します。

対象EBITDA(仮置き)

  • 対象営業利益(建設派遣部分の合算)を 60〜90億円
  • EBITDA調整(D&A、のれん、株式報酬等)を +5〜15億円
  • EBITDAレンジ:65〜105億円

(※レンジが広いのは、カーブアウト後の事業範囲・調整内容が価格の争点になる、という事実そのものを示しています)

EV/EBITDA倍率(仮置き)

建設技術者派遣は「人材の希少性」「採用力(自社集客)」「定着率」「単価」「稼働率」で差がつき、倍率は振れます。売り手の交渉準備としては、保守〜強気で

  • EV/EBITDA:6.0x〜9.0x
    を置くのが現場感に合います(“No.1戦略”やスケールメリットが説明できるなら上側を狙う、という構図です)。

EVレンジ

  • 65億円×6.0=390億円
  • 105億円×9.0=945億円
    EVレンジ:390〜945億円

ここから、株式価値(取得価額)に戻すにはネットデットを引きます。

  • 株式価値=EV − ネットデット

ネットデットは未開示なので、例として

  • ネットデット:0 / 150 / 300億円
    を置くと、株式価値レンジは大きく変わります。
前提株式価値レンジ
ネットデット0390〜945億円
ネットデット150240〜795億円
ネットデット30090〜645億円

読み方:取得価額約292億円がどこに位置するかは、ネットデットと調整後EBITDA次第です。
→ 売り手が「価格の根拠」を作るには、“調整後EBITDAの定義”と“ネットデットの中身”を、監査可能な形で提示することが必須です。


③類似比較法(上場類似・類似取引の“相場観”を作る)

類似比較法は「相場」を示せますが、カーブアウトでは前提が揺れるため、補助線として使います。

(A) 売上倍率(PSR的な見方:参考)

ニュース値を素朴に使うと、

  • 取得価額約292億円 / 売上571億円 ≒ 0.51x
  • 取得価額約292億円 / 売上180億円 ≒ 1.62x
    ただし、取得対象は“建設派遣事業”であり、売上の範囲も利益率も異なるため、この倍率だけで売却期待値を作るのは危険です。

(B) 1人当たり価値(技術者派遣で実務的に使う補助指標)

資料では、技術者数として

  • コプロコンストラクション:4,885名
  • トライトエンジニアリング:2,443名
    が示され、買収後の業界ポジション(規模)を強調しています。7059_20260115534469_P01_

 ここから、参考として「取得価額/獲得人員」を置くと、“人材(供給制約資源)にいくら払っているか”の感覚が掴めます。ただし、取得価額はトライト(建設事業)も含むため、単純に2,443名で割ると過大になります。したがって、レンジで考えます。

  • 獲得技術者(仮置き):2,443名〜(トライト建設事業分を加えた)4,500名
  • 292億円 / 2,443名=約1,195万円/名
  • 292億円 / 4,500名=約649万円/名

読み方:建設派遣では「人員規模×稼働率×単価×粗利」が価値の源泉です。
→ 売り手は“社員数”ではなく、(1)稼働中の有資格者比率(2)稼働率(3)単価(4)定着率(5)採用単価(CAC)を開示できるほど、評価が上がります。


法律・会計・税務:売り手が価格を削られないための実務論点

1) 法務(許認可・労務・個人情報が価格を決めます)

  • 派遣法:派遣元管理、同一労働同一賃金、情報公開
  • 職安法:紹介手数料、求人表示、許可更新
  • 労基法:未払残業、固定残業の適法設計、36協定
  • 個人情報:応募者DBの同意、委託先、漏えい時対応

危険ポイント

 未払残業・社保・同一労働同一賃金の不備は、買い手にとって「金額換算しやすい減額理由」です。ここを潰せない売り手は、ほぼ例外なく条件で負けます。

2) 会計(のれんと指標の“見せ方”)

 資料では、IFRS任意適用により「のれんが償却対象外になりEPSを押し上げる」見込みが示されています。これは買い手側の話ですが、売り手にとって重要なのは、買い手が“会計上の利益”より“キャッシュ創出(EBITDA等)”で価格を決めるという点です。
売り手は、のれん償却の有無に振り回されず、調整後EBITDAの説明資料を作るのが実務対応です。

3) 税務(カーブアウトは“適格要件”と“移転コスト”で手取りが変わる)

 吸収分割を使う場合、税務上は「適格組織再編」に該当するかで課税関係が大きく変わります。
売り手開拓の現場では、少なくとも次を押さえる必要があります。

  • 何をどの会社に残し、何を売るのか(契約・人・システム・許認可)
  • 分割に伴う資産負債の移転方法(帳簿価額/時価、対価の形)
  • 消費税(事業譲渡の場合の課税資産の扱い)
  • 株式譲渡益課税(オーナー個人/法人で税率・損益通算が異なる)

※個別要件は事実関係に強く依存するため、税理士・弁護士との一体設計が必須です。


売り手開拓向け:建設技術者派遣・人材紹介会社が「高く売れる」ためのチェックリスト

以下は、実務で“価格が上がる順”に効く項目です(買い手がDDで確認する順番でもあります)。

  1. KPIの整備:稼働率、単価、粗利、定着率、採用単価(CAC)、有資格者比率
  2. 採用チャネルの内製力:自社求人サイト、広告運用、リファラル、紹介依存度
  3. 労務のクリーン化:未払残業、社保、同一労働同一賃金、就業規則・運用
  4. 契約の棚卸:主要顧客契約、派遣基本契約、個人情報委託、違約金条項
  5. カーブアウト可能性:共通費・システム・人員の切り分け、移転計画
  6. 偶発債務の封じ込め:訴訟・クレーム・事故対応、保険、内部通報
  7. PMI前提の開示:統合で何が改善するか(単価上昇、採用効率、管理費削減)

 本件でも「技術者確保」「スケールメリット」「クロスセル」「管理コスト削減」等、PMIで改善する項目が明確に言語化されています。売り手側がこれを自社版に落とせると、相見積り時に勝てます。

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プライマリーアドバイザリー株式会社
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経済産業省中小企業庁M&A支援機関登録制度、日本経営財務研究学会(JFA:Japan Finance Association)在籍、東京商工会議所登録。M&Aシニアエキスパート資格保有。

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