M&Aの専門家が教える「今は売却してはいけない会社」の決定版:「高く売る方法」より先に知るべき、損を回避する判断基準と実務の真実

 「会社を高く売る方法」や「M&Aの成功法則」といった情報は、インターネット上にあふれています。しかし、それ以上の「断念」や「売却後の後悔」を見てきた私からお伝えしたいのは、全く別の視点です。

 M&Aは経営者にとって、いわば人生の総決算です。最大の失敗は、金額の多少ではありません。「売るべきではない局面で売り、取り返しのつかない損失を確定させてしまうこと」にあります。

 本稿では、プロの視点から「いま売却を思い止まるべき会社の特徴」と、あえて「売らない選択」をすることが、いかに経営者と従業員双方の幸福につながるかを、論理的・実務的に整理して解説します。


目次

第1章:M&Aの幻想――なぜ「売却してはいけない」局面が存在するのか

 多くの経営者は「M&A=出口(イグジット)」と考えがちです。しかし、出口の先に待っているのが「後悔」であっては、それは成功とは呼べません。

1-1. 「高値」に見える譲渡価額に潜む罠

 「御社を〇億円で買いたい企業があります」という打診は、経営者にとって自らの歩みを肯定されたようで、非常に魅力的に響くものです。

しかし、提示された金額だけで判断するのは極めて危険です。会社を売却するということは、将来得られたはずのキャッシュフロー(利益)と、経営者としての選択肢(再投資、配当、役員報酬、そして自己実現の場)をすべて手放すことを意味します。

売却を検討する際、私はクライアントに必ず以下の2点を問いかけます。

  1. 経済合理性の検証: 提示された譲渡価額は、将来得られるキャッシュフローを「リスク調整した現在価値」で上回っているか?
  2. 非財務的価値の検証: 価格以外の要因(時間、健康、家族、次の挑戦)を考慮した際、早期に現金化することに明確な合理性があるか?

 例えば、安定して高利益を出している企業が、単純な「利益の数年分」という相場で売却してしまった場合、数年後には「あのまま経営を続けていれば、手元にはそれ以上の現金が残り、かつ会社も自分の手元にあったはずだ」と気づくことになります。

用語解説:現在価値(PV) 将来受け取る予定のお金を、現在の価値に換算した金額。将来のお金には不確実性(リスク)があるため、現在の価値は将来の額面より低く見積もるのがファイナンスの基本です。

1-2. 組織・取引への影響を過小評価するリスク

 M&Aは株主の交代で終わるものではありません。現場の従業員にとっては「支配者の交代」という激震です。買い手企業の文化や評価制度、意思決定のプロセスが自社と大きく乖離している場合、譲渡後に優秀な人材が流出し、事業が空洞化してしまうケースを私は何度も見てきました。

 買い手企業のPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション:買収後の統合プロセス)の方針が自社のカラーと合わない場合、売却は従業員を苦境に立たせる結果になりかねません。この確信が持てないうちは、安易にハンコを押すべきではないのです。


第2章:売却することで「損」が出る事業構造・業種

 特定の事業構造や状況下では、M&Aという手法そのものが馴染まない、あるいは極端に買い叩かれやすいケースがあります。

2-1. 特定の取引先への依存度が極端に高い(一本足打法)

 売上の大半を一社の主要取引先に依存している企業は、M&A市場では非常に厳しい評価を受けます。 買い手にとっての最大のリスクは「譲渡後にその取引が打ち切られること」だからです。このリスクがある場合、買い手は以下のような防衛策を講じます。

  • 譲渡価額を大幅に割り引く。
  • アーンアウト条項を付加する。

用語解説:アーンアウト(Earn-out) 譲渡時点で全額を支払うのではなく、売却後の一定期間の業績目標の達成度合いに応じて、追加で対価を支払う契約手法。売り手にとっては、将来の不確実な利益を担保にされるリスクがあります。

 このような会社は、まず取引先を分散させ、自社の立ち位置を安定させてから(=再現性を高めてから)売却に臨まなければ、本来の価値を大きく下回る価格で損失を確定させることになります。

2-2. 属人性が極めて高い「オーナー経営」

 「社長がいなければ回らない」会社は、M&Aにおいては「資産」ではなく「リスク」と見なされます。

  • 受注が社長個人の人脈のみに依存している。
  • 特殊なノウハウがマニュアル化されず、社長の頭の中にしかない。
  • 意思決定のすべてを社長が行い、右腕となるマネジメント層が不在。

 このような状態での売却は、買い手から見れば「エンジンが抜けた後の車」を買うようなものです。結果として、社長には「売却後も5年間は役員として残る(ロックアップ)」などの厳しい条件が課され、自由を求めて売却したはずが、逆に不自由な立場に追い込まれることになります。


第3章:実務上の壁――DD(買収監査)で露呈する売りづらい企業

 法務・会計・労務の観点から見て、売りに出しても苦戦する、あるいは破談になりやすい企業の特徴を整理します。これらはデューデリジェンス(DD)で必ず厳しくチェックされるポイントです。

用語解説:デューデリジェンス(DD) 買い手企業が、買収対象企業の価値やリスクを詳細に調査するプロセス。財務、法務、税務、労務、ITなど多岐にわたります。

3-1. 労務管理の不備(潜在債務のリスク)

 現代のM&Aにおいて、最も成約を阻害するのが「労務リスク」です。 特に未払い残業代や、就業規則と実務の乖離は、買い手にとって予測不可能な「簿外負債」となります。

 「うちは裁量労働制だから」「固定残業代を払っているから大丈夫」という経営者の主張も、実務上、法的な要件を満たしていないケースが驚くほど多いのです。DDで数千万円、数億円規模の潜在リスクが指摘されれば、譲渡価格からの直接減額や、最悪の場合は取引中止に直結します。

3-2. コンプライアンス・許認可の不透明さ

 事業に必要な許認可が、実態と乖離した名義になっていたり、更新要件を満たしていなかったりする場合、株式譲渡後の事業継続性に重大な疑義が生じます。 また、反社会的勢力との関わりが疑われる取引が過去に一度でもある場合、上場企業や大手企業が買い手になる可能性は、実務上、完全に消滅します。

3-3. 簿外債務と偶発債務

貸借対照表(B/S)に載っていない負債のことです。

  • 退職給付引当金の不足
  • 係争中の訴訟リスク
  • 他社への債務保証

これらが隠されていた場合、価格交渉以前に「経営者への信頼」が崩壊し、破談となります。


第4章:売却を「今」すべきではないタイミングの罠

「業績が良い時が売り時」という一般論には、注意すべき例外があります。

4-1. 成長曲線の真っ只中にいる時

 事業が急成長している時、オーナーの期待(来期以降のさらなる成長)と、買い手の評価(過去の実績と保守的な予測)には、必ず大きなギャップが生じます。 このギャップが埋まらないまま無理に売却すると、オーナーは「安く売りすぎた」という後悔を一生背負うことになります。成長の踊り場が見えるまで、あるいは成長を加速させるためのパートナーが必要だと確信できるまで、自力で走り抜ける方が経済的利益は大きくなります。

4-2. 業界の市場評価(マルチプル)が高騰しすぎている時

 特定の業種がブームになり、異常な高値で取引されている時期があります。一見、売り時に見えますが、高値で買った買い手は、統合後に極めて高い収益目標を自社に課します。売却後、経営者が一定期間残る契約(PMIへの協力)がある場合、そのプレッシャーは凄まじいものとなり、精神的な負担から体調を崩す経営者も少なくありません。

用語解説:マルチプル(倍率) 企業価値を、利益(EBITDAなど)の何倍として評価するかを示す指標。業界の相場により変動します。


第5章:税務上の「損」を回避するための専門的知見

 M&Aにおいて重要なのは「額面」ではなく、税金を引いた後の「手残り金額」です。税務スキームの選択を誤ると、数億円単位の損失が出ることがあります。

5-1. 株式譲渡と事業譲渡の選択

  • 株式譲渡: オーナー個人が株を売却。所得税(復興特別所得税含む)+住民税で約20.315%の分離課税。シンプルで税負担も低い傾向にあります。
  • 事業譲渡: 会社が事業を売却。法人税(約30〜34%)がかかり、その後、会社に残った現金を個人が受け取る際に、配当所得として総合課税(最大約55%)がかかるケースがあります。

 「会社というハコだけは残したい」という感情的な理由だけで事業譲渡を選択すると、手残りが劇的に減るリスクがあります。

5-2. 役員退職金の活用

 譲渡価格の一部を「役員退職金」として受け取ることで、退職所得控除や「2分の1課税」の恩恵を受け、税負担を大幅に軽減できる場合があります。ただし、これは法的に適正な金額設定と手続きが前提であり、誤れば税務当局から否認されるリスクを伴います。


第6章:「売却してはいけない会社」を「売却できる会社」に変える

 もし、あなたの会社がこれまで挙げた「売却すべきではない特徴」に当てはまっていたとしても、悲観する必要はありません。順序を正すだけで、数年後の譲渡条件は劇的に改善します。

  1. 仕組み化による脱・属人化: 社長がいなくても現場が回るマニュアルと権限委譲。
  2. 月次決算の早期化: 翌月10日以内に試算表が出る体制は、買い手への最大の信頼供与です。
  3. 不要資産の分離: 事業に関係のない資産(節税目的の保険や高級車など)をB/Sから切り離す。
  4. 労務の是正: 勤怠管理を徹底し、潜在的な労務リスクをゼロに近づける。

「あなたの会社は売却適齢期?」クイック診断(5問)

  1. 社長が1ヶ月不在でも、売上・利益に大きな影響はありませんか?
  2. 売上の50%以上を占める特定顧客は「存在しない」と言えますか?
  3. 直近2年分の残業代計算について、客観的な証拠(打刻データ等)が揃っていますか?
  4. 試算表は、毎月10日以内に確定していますか?
  5. 3年後の会社の姿が、今よりも鮮明に(ポジティブに)イメージできますか?

⇒ 「いいえ」が3つ以上ある場合、今は売却よりも「磨き上げ」を優先すべき時期かもしれません。


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当社では、売却の実行(マッチング)を前提としない、意思決定支援に特化した「M&Aセカンドオピニオン」を提供しています。

  • 現時点での客観的な企業価値評価(バリュエーション)
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結論が「今は売るべきではない」になることも多々あります。 ご相談は経営者ご本人に限定し、完全秘密厳守で対応いたします。まずは、あなたの歩んできた経営の軌跡を、正しい価値へと変換する準備を始めませんか。

※本記事は一般的な情報の提供を目的としており、個別の案件については必ず税理士、弁護士等の専門家にご相談ください。

プライマリーアドバイザリー株式会社
代表取締役 内野 哲

M&A仲介業、M&Aアドバイザリー。前職は東証プライム上場グループ会社の代表取締役社長として、DX・Webマーケティング支援事業を経営、経営実務としてのファイナンス経験を活かしてM&Aアドバイザリー事業を創業。並行して自己勘定投資会社も経営し、プロ経営者・プロ投資家の双方の視点で顧客の事業価値最大化を支援しています。

経済産業省中小企業庁M&A支援機関登録制度、日本経営財務研究学会(JFA:Japan Finance Association)在籍、東京商工会議所登録。M&Aシニアエキスパート資格保有。

M&Aセカンドオピニオンサービス(売却可否・条件妥当性レビュー)
 当社では、他社M&A会社から提示された株価査定・取引条件について、利害関係のない第三者として妥当性を検証するセカンドオピニオンサービスを提供しています。

○企業価値評価(株価算定)
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 総合的に検討し、「進めるべきか/立ち止まるべきか」を明確にお伝えします。
本サービスは、成約を前提とした仲介・マッチング業務ではありません。
※条件次第では「売却を見送るべき」と結論づける場合があります。

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