2025年12月15日、牛丼チェーン大手の松屋フーズホールディングスが、つけ麺の名店「六厘舎」などを展開する株式会社松富士の全株式を取得し、子会社化すると発表しました 。
今回は、公開されたIR資料の数値を徹底的に分解し、なぜこれほどの金額で合意に至ったのか、そして売り手であるオーナー経営者は何を武器にこの条件を引き出したのかについて、プロの視点で解説します。これから事業承継やExitを検討されている経営者様にとって、勇気と学びが得られる内容になれば幸いです。
1. 驚異のバリュエーション:数字で見る「六厘舎」の価値
まずは、今回の取引の概要と、公開された財務数値を見てみましょう。
取引の基本条件
- 買い手:株式会社松屋フーズホールディングス(東証プライム)
- 売り手:株式会社松富士(代表取締役 竹田和重氏、MR投資事業有限責任組合)
- 対象事業:「六厘舎」など9ブランド・111店舗(2025年3月末時点)
- 株式取得価額:91億円(アドバイザリー費用等を除く株式対価)
- クロージング予定日:2026年1月5日
対象会社の財務スペック(2025年6月期)
- 売上高:100億600万円
- 営業利益:4億300万円
- 当期純利益:1億6,300万円
- 純資産:15億1,800万円
さて、ここからが本題です。この数字を見て、皆様はどう感じますか? 「売上が100億円もあるなら、91億円で売れるのは妥当では?」と思われるかもしれません。しかし、M&Aのプロが見ると「利益水準に対して、破格の評価がついている」ことがわかります。
異常値とも言える「PER」と「PBR」
株式価値91億円を、財務数値で割って倍率(マルチプル)を出してみましょう。
- PER(株価収益率)
- 計算式:株式価額 91億円 ÷ 当期純利益 1.63億円
- 倍率:約55.8倍
- 解説:通常、中小企業のM&AにおけるPERは、高くても10倍〜20倍程度が相場です。上場企業同士でも20〜30倍程度。55倍という数字は、ITベンチャーやバイオ企業のような「爆発的な将来成長」が確約されていない限り、つきにくい数字です。
- PBR(株価純資産倍率)
- 計算式:株式価額 91億円 ÷ 純資産 15.18億円
- 倍率:約6.0倍
- 解説:純資産(解散価値に近いもの)の6倍の値段がつきました。つまり、差額の約76億円が「のれん(営業権)」や「ブランド価値」として評価されたことになります。
これは、単なる「飲食店の売買」ではなく、「無形資産の塊」としての取引であったことを如実に物語っています。
2. 「EBITDA倍率」から読み解く実質価値
M&Aの実務において、最も重視される指標の一つにEV/EBITDA倍率があります。これは「この会社を買収したら、本業のキャッシュフローで何年で元が取れるか(簡易的な投資回収年数)」を示すものです。
公開情報から推計してみましょう。
- 営業利益:4.03億円
- 減価償却費(推計):IR資料には記載がありませんが、ラーメン店等の重飲食の場合、設備投資がかさむため、売上の3〜5%程度が償却費となることが一般的です。仮に売上の4%と仮定すると、約4億円です。
- EBITDA(簡易):営業利益 4.03億円 + 減価償却費(仮)4億円 = 約8億円
次に、企業価値(EV)を算出します。
- 株式価値:91億円
- 有利子負債(推計):総資産41.8億円に対し、純資産15.1億円ですから、負債合計は約26.6億円です。このうち買掛金等を除いた有利子負債をざっくり20億円と仮定します。
- EV(企業価値):91億円 + 20億円(仮) = 約111億円
- EV/EBITDA倍率:111億円 ÷ 8億円 = 約13.8倍
【プロの考察】なぜ13倍超の評価がついたのか?
一般的な飲食業のM&Aでは、EBITDA倍率は6〜8倍程度で収まることが多いです。13倍〜15倍という数値は、以下のような「戦略的価値」が認められた場合にのみ発生します。
- 「六厘舎」という圧倒的ブランドの再現性 IR資料にもある通り、松富士は「東京駅や羽田空港等の主要立地」で圧倒的な認知を持っています 。この「行列ができるブランド」を、松屋フーズの資本力で世界中に展開できれば、利益は現在の数倍〜数十倍に跳ね上がります。買い手は「現在の利益(4億円)」を買ったのではなく、「将来生み出せる数十億円の利益」を買ったのです。
- セントラルキッチンの完成度 所沢にセントラルキッチンを有しており 、品質を落とさずに店舗を拡大できる「スケーラビリティ(拡張性)」が既に担保されていた点も評価を押し上げた要因でしょう。職人依存になりがちなラーメン業態で、システム化ができている点は極めて高い加点要素です。
- シナジー効果への確信 松屋フーズは「原材料価格の高止まり」等の課題を持っています 。ラーメン業態を取り込むことで、小麦等の共同調達によるコストダウンや、松屋の物流網・出店ノウハウとの相互活用 が見込めます。これらのシナジー効果(統合による利益改善効果)を、買収価格に一部上乗せ(プレミアム)して支払ったと考えられます。
3. アドバイザリー費用について:コストパフォーマンスの良さ
今回のIR資料には、非常に珍しい項目が開示されています。それが「アドバイザリー費用等(概算額)」です。
- 株式取得価額:9,100百万円
- アドバイザリー費用等:60百万円
- 合計:9,160百万円
この「6,000万円」という数字、M&A業界の人間からすると「非常にリーズナブル(割安)」に映ります。
通常、90億円規模の案件であれば、大手証券会社やFAS(ファイナンシャル・アドバイザリー・サービス)に依頼すると、成功報酬だけで数億円(レーマン方式で計算しても1〜2億円以上)かかるケースが一般的です。 この6,000万円には、財務デューデリジェンス(買収監査)や法務デューデリジェンスの実費も含まれている可能性があります。そう考えると、松屋フーズ側は、内部リソースを最大限活用したか、あるいは非常に効率的な専門家の起用を行っていることが推測されます。
【売り手への教訓】 M&Aには数千万円単位の手数料がかかるのが常識ですが、このコストは「適切な相手と、適切な価格でまとめるための必要経費」です。今回のように適切なプロセスを経ることで、純資産の6倍もの価格で売却できるのであれば、アドバイザリー費用は十分に回収できる投資だと言えます。
4. 売り手経営者が学ぶべき「高く売れる会社」の条件
今回の松富士(六厘舎)の事例から、中小企業の経営者が学べる「自社を高く評価してもらうためのポイント」は以下の3点に集約されます。
①「利益率」より「ブランドと仕組み」
松富士の営業利益率は約4%(4億円/100億円)と、決して驚異的に高いわけではありません。しかし、評価されたのは「一等地に強いブランドがある」「セントラルキッチンという仕組みがある」という参入障壁です。目先の利益率を高めるためのコストカットよりも、ブランド磨きとインフラ投資を行った結果が、この高値売却につながりました。
②「ドミナント戦略」による強固な地盤
関東ドミナント(特定の地域に集中出店)で111店舗を展開している点 も重要です。管理効率が高く、地域内での認知度が極大化されています。全国にパラパラと店があるよりも、特定地域で圧倒的シェアを持つ方が、買い手(特に全国チェーン)にとっては「未進出エリアへの展開余地」という魅力に映ります。
③ タイミングと成長ストーリー
松富士は直近3年間で、売上高を66億円→85億円→100億円と順調に伸ばしており、利益も回復・成長基調にありました 。業績が右肩上がりのタイミングで、かつ「海外を含め未進出エリアへの出店余地が大きい」 という成長ストーリーを描ける段階で譲渡を決断したことが、ベストな評価を引き出しました。
5. まとめ:自社の「のれん代」を最大化するために
今回のM&Aは、買い手の松屋フーズにとっても、売り手の松富士にとっても、非常に合理的な「Win-Win」の取引であったと分析できます。
特に売り手様にとっては、「簿価(純資産)が会社の価値ではない」ことを証明する勇気ある事例です。 貸借対照表には載らない、皆様の頭の中にあるノウハウ、従業員のオペレーション能力、そして顧客からの愛着。これらを論理的に、かつ情熱的に買い手に伝えることができれば、日本のM&A市場でもこれほどのプレミアム評価を勝ち取ることが可能です。
あなたの会社には、まだ決算書に現れていない「磨けば光る原石」が眠っていませんか? それを発見し、正しい言葉とロジックで評価額に転換するのが、私たちM&Aアドバイザーの使命です。
自社の企業価値を簡易的に知りたい、あるいは将来的な出口戦略について壁打ちがしたいという経営者様は、ぜひお気軽にご相談ください。 今回の「六厘舎」のように、あなたの会社独自の強みを最大限に評価してくれるパートナー探しを、全力でサポートさせていただきます。
【用語解説】
※本記事で使用した専門用語の解説です。
- バリュエーション(Valuation): 企業の経済的価値を算定すること。M&Aにおける取引価格の根拠となります。
- EBITDA(イービットディーエー): 営業利益に減価償却費を足し戻した利益指標。「金利・税金・償却前利益」のこと。キャッシュフロー創出力を見るために使われます。
- PER(株価収益率): 株価が1株当たり純利益の何倍まで買われているかを見る指標。
- PBR(株価純資産倍率): 株価が1株当たり純資産の何倍まで買われているかを見る指標。1倍を超えた分は、将来の期待値やブランド価値と見なされます。
- デューデリジェンス(Due Diligence): 買収監査のこと。財務、法務、税務、ビジネスなどの観点から、買収対象企業のリスクや価値を詳細に調査するプロセス。
- のれん(Goodwill): 買収価格のうち、純資産額を上回る部分。「ブランド力」「顧客基盤」「ノウハウ」などの無形資産の価値を指します。



















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