ライバー事務所のM&A事例:AViC<9554>によるSpica子会社

目次

0. 最初に結論

 本件は、AViCがTikTok LIVEのライバーマネジメント会社Spicaを株式100%取得する取引です。取得価額(クロージング対価)は普通株式15億円、加えてアドバイザリー費用等0.8億円が見込まれています。また、条件付取得対価(アーンアウト)最大3億円、さらに売上が基準を大幅に下回る場合の対価返還(返金)条項が設定されています。

 開示資料では、(クロージング対価基準で)Spicaの2026/4期見込みEBITDAに対し、EV/EBITDAが約3.1〜3.6倍と明示されています。さらに、説明資料上「株式取得価額15億円」「Net Cash概算3.5億円」「EV概算11.5億円」と整理されています。

したがって本件の論点は、「高成長・高利益率ビジネスが、なぜ低いEV/EBITDAレンジで成立したのか」と、「売り手が価格を最大化するために、どの数字・どの条項を設計すべきか」に集約されます。


1. まず“弱点指摘”:ニュースだけで判断すると、売り手は価格を取り逃がします

 ニュース本文だけを見ると、Spicaは(2025/4期)売上高3.85億円、営業利益2.13億円、純資産1.32億円、取得価額15.8億円と読めます。しかし、適時開示の注記で、2025/4期の数値には「譲渡対象外」の健康食品事業・芸能事業が含まれるとされています。つまり、売り手・買い手の双方が見るべきは「会社全体」ではなく、“譲渡対象事業のみ”の収益力とリスクです。実務でここを外すと、(売り手側では)

  • “高利益”の根拠が曖昧になる
  • 事業の切り分け(カーブアウト)で想定外のコストが出る
  • 結果として、買い手にディスカウントされる
    という形で価格を落とします。

2. 重大リスク(危険ポイント):この案件が「条件付きの現金対価」になった合理性

 本件は、全額現金・一括払いに見えますが、実態は「現金+アーンアウト+返金条項」の組合せです。これは売り手にとって“追加上振れ”の余地である一方、買い手が見ているのは以下の典型リスクです。

危険ポイントA:収益ドライバーが「プラットフォーム規約・インセンティブ」に依存

 説明資料では、Spicaは「所属ライバーから手数料は取らず、プラットフォームからのインセンティブ報酬のみで収益化」とされています。このモデルは粗利が高く見えますが、反面、

  • インセンティブ設計の変更
  • 一次代理店資格・評価制度の変更
  • 配信規制・広告規制の強化
    の影響を強く受けます。買い手はここに制度変更リスクを織り込み、固定価格を抑え、成果連動(アーンアウト)で調整しがちです。

危険ポイントB:キー・パーソン依存(創業者が抜けた瞬間に崩れる)

 アーンアウトの条件として「売上高20億円到達」かつ「現株主が継続して取締役であること」が置かれています。これは買い手が、事業価値の相当部分を創業者の運用能力・ネットワークと見ていることを意味します。売り手側が価格を上げたいなら、ここを「個人技」から「組織能力」に変える(KPI化・採用育成・管理会計の整備)ことが本質的な打ち手です。

危険ポイントC:カーブアウト(譲渡対象外事業がある)=“数字の連続性”が途切れる

 2025/4期の財務は対象外事業を含む一方で、2026/4期見込みは「対象外事業を除く」前提のレンジ開示です。この場合、売り手は 対象事業のPL/BSを切り出して説明できるか(カーブアウト財務) が価格を左右します。「切り出しが雑=デューデリで修正が多い」ほど、買い手は(表面上は)マルチプルを下げ、(条項上は)返金・留保・アーンアウトを厚くします。


3. バリュエーション①:純資産法(P/Bの見え方と限界)

3-1. 純資産法とは(用語)

 純資産法は、貸借対照表の「純資産(資産−負債)」を基礎に株価を評価する方法です。現預金・売掛金・借入金など“見える資産負債”が中心で、将来利益(のれん)を薄く見るのが特徴です。

3-2. 本件数値での試算(2パターン)

 開示上、Spicaの純資産は(2025/4期)1.32億円です。クロージングの株式取得価額(普通株式)は15.0億円です。

  • パターンA(開示純資産をそのまま使用)
    • 株式価値 15.0億円 ÷ 純資産 1.32億円 = P/B 約11.36倍

 ただし、当該純資産は「対象外事業を含む」注記があり、さらにカーブアウト後のBSが不明です。したがって純資産法は、本件では “下限確認”の補助線であり、価格決定の主役にはなりにくい、というのが実務的な結論です。

  • パターンB(Net Cashを“実質純資産”の代表値として参照)
    説明資料では、契約締結日における対象会社のNet Cash概算が3.5億円とされます。この数字は「事業の稼ぐ力」ではなく、価格の安全マージン(現金バッファ)として買い手が重視します。(あくまで補助線ですが)株式価値15.0億円 ÷ Net Cash3.5億円 = 約4.29倍となります。

純資産法は「IT・クリエイター領域のような無形資産型ビジネス」では弱い。
一方、Net Cashはディールの条項設計(EV計算、運転資本調整、価格調整)に直結するため、売り手は必ず作り込むべきです。


4. バリュエーション②:EV/EBITDA法(本件の中核)

4-1. EV/EBITDAとは(用語)

  • EV(Enterprise Value):事業価値。一般に「株式価値+有利子負債−現預金(Net Cash控除)」で近似します。
  • EBITDA:営業利益に減価償却などを足し戻した「キャッシュ創出力」の近似値(業種により調整が重要)。

本件説明資料では、株式取得価額15億円、Net Cash3.5億円、EV11.5億円と明示されています。また、譲渡対象事業のみの2026/4期見込みとして、EBITDAが3.2〜3.7億円レンジで示されています。

4-2. EV/EBITDAの算定(レンジ)

  • EV(概算):11.5億円00
  • EBITDA(見込み):3.2〜3.7億円00

よって、

  • 11.5 ÷ 3.7 = 3.11倍
  • 11.5 ÷ 3.2 = 3.59倍

開示の「約3.1〜3.6倍」と一致します。

4-3. それでも“低く見える”理由(売り手目線の示唆)

ここが売り手開拓の記事としての核心です。EBITDAが3億円台でEVが11.5億円なら、見た目は「安くないか」と感じるオーナーは多いです。実務では、次のいずれか(または複合)が起きています。

  1. EBITDAが“ピーク利益”で、再現性にディスカウントがかかっている
    ライバーの入替、アルゴリズム、プラットフォーム条件で変動しやすい構造だと、買い手は低倍率から入ります。
  2. アーンアウトで“上振れ分”を後払いにしている
    売上20億円到達時に最大3億円という設計は、固定価格を抑えつつ、成功時に追加支払いする典型です。売り手は「固定価格15億」だけでなく、“期待値ベースの総対価”で交渉すべき局面があります。
  3. 返金条項がある=ベース価格が“保険料控除後”になっている
    売上が基準を大幅に下回る場合、対価の一部返還が設定されています。これは買い手にとって下方リスク限定(プロテクション)であり、売り手にとっては実質的な価格減額リスクです。条項のトリガー、測定方法、例外(不可抗力・制度変更等)を詰めないと、見かけの倍率は意味を失います。

5. バリュエーション③:類似比較法(“同業マルチプル”ではなく“同リスク・同再現性”で比べる)

5-1. 類似比較法とは(用語)

類似比較法(マルチプル法)は、同業・類似モデルの会社の「EV/EBITDA等の倍率」を参照して対象会社に当てはめる方法です。ただし、売り手がよく誤解するのは「同業っぽい上場会社の倍率を持ってくる」ことです。実務の買い手は、業種ラベルよりも次の“中身”で比較します。

  • 売上の予測可能性(継続課金か、単発か)
  • 粗利構造(労働集約か、プラットフォームレントか)
  • 集中度(上位配信者・上位プラットフォーム依存)
  • コンプライアンス耐性(規約変更・広告規制・景表法・個人情報)
  • KPI管理の成熟度(獲得効率、離脱率、LTV)

5-2. 本件に即した“比較の置き方”(実務で使うレンジの作り方)

本件開示から逆算すると、買い手(AViC)は少なくとも次を前提にしています。

  • 対象事業のEBITDA:3.2〜3.7億円
  • EV:11.5億円
  • したがって基準倍率:3.1〜3.6倍

 この「3倍台」がベースになった背景として、売り手側が比較すべきは、上場の広告代理店そのものではなく、“プラットフォーム依存×人材(タレント)依存×高成長”という同リスク集合の取引です。売り手は、ここで初めて「自社のどの要素が倍率を押し上げ、どの要素が押し下げるか」を言語化でき、交渉材料になります。


6. では売り手はどうすべきか:価格を上げるのは「倍率」ではなく「再現性」の証明

ここからは、売り手開拓向けに“行動”へ落とします。価格を上げる現実的手段は概ね3つです。

6-1. KPI(獲得・育成・収益化)を“個人技”から“モデル”へ

 AViCはSpicaに「データドリブンな経営管理手法導入の余地がある」と述べています。裏返すと、売り手が先にこれを整備していれば、買い手は

  • 成長が再現可能
  • キーパーソン依存が低い
    と評価し、固定対価が上がり、アーンアウト比率が下がる方向に交渉できます。

6-2. カーブアウト財務(対象事業のPL/BS)を“監査耐性”で作る

 対象外事業を含む実績値と、対象事業のみの見込み値が混在しています。
売り手は、対象事業のみの

  • 売上計上方針(総額か純額か)
  • インセンティブの認識時点
  • 関連コスト(採用費、外注費、返金等)の引当
    を説明できないと、デューデリで修正され、倍率が落ちます。

6-3. 条項設計(アーンアウト・返金・表明保証)で“期待値”を最大化する

 アーンアウトは「上振れの取り分」ですが、条件が悪いと“幻想”になります。売り手に必要なのは、最大額の提示ではなく、

  • 測定KPIの定義
  • 売上計上ポリシー変更の扱い
  • 買い手の経営判断で達成不能になった場合の救済
  • 不可抗力(制度変更)時の調整
    といった実行可能性の担保です。

7. 会計・税務・法務:売り手が最低限押さえるべきポイント(平易な補足付き)

※以下は一般論です。個別案件は専門家に個別確認が必要です。

7-1. 会計:のれん(営業権)とPPA(取得対価配分)

 本件では「のれん金額および償却年数は未確定」とされています。のれんとは、純資産を超えて支払った「超過収益力」の対価です。買い手の連結上、のれんが大きくなるほど将来の減損リスクが増えるため、買い手はデューデリで厳格になります。売り手は、のれんを正当化する材料(KPI、契約、継続率)を揃えるほど、価格交渉が安定します。

7-2. 法務:表明保証(レプス)とプラットフォーム契約

 表明保証は「過去・現在の事実に虚偽がない」ことを売り手が保証する条項です。
この領域では特に、

  • プラットフォーム規約違反の有無
  • 一次代理店資格の維持条件
  • 所属ライバーとの契約(解除条項、競業、報酬)
  • 個人情報の取扱い(取得方法・同意・委託先管理)
    が価格(補償上限・エスクロー・留保)に直結します。

7-3. 税務:株式譲渡益課税とスキーム選択

 本件は株式取得(株式譲渡)です。売り手個人(株主)が譲渡する場合、譲渡益課税が基本になります。事業譲渡(資産譲渡)との比較では、消費税・許認可・契約移転・簿外債務の引継ぎなど論点が変わります。
「どちらが有利か」は、株主属性(個人/法人)、含み益の構造、繰越欠損金、役員退職金設計等で結論が変わるため、売却プロセスの初期に整理が必要です。


8. アドバイザリー費用(この開示から読み解けること)

 本件では「アドバイザリー費用等(概算額)0.8億円」が明示されています。


9. まとめ:売り手がこの事例から持ち帰るべき3点

  1. 純資産は下限確認、主役はEV/EBITDA(ただしEBITDAの定義と再現性が全て)
  2. アーンアウトと返金条項は「価格」そのもの(最大額ではなく達成可能性を設計する)
  3. “個人技のビジネス”はディスカウントされる(KPI・組織化・カーブアウト財務で倍率は変わる)

10. 売り手向けチェックリスト(簡易)

  • 対象事業のみのPL/BSを作れている(カーブアウト財務)
  • 主要KPI(獲得・育成・継続・収益化)を月次で説明できる
  • プラットフォーム規約・代理店資格の維持条件を整理している
  • キーパーソン依存の低減策(権限移譲・採用育成)がある
  • アーンアウトの測定定義・例外・救済条項の論点を理解している
プライマリーアドバイザリー株式会社
代表取締役 内野 哲
M&A仲介・M&A売却・事業承継に特化した専門アドバイザリー

中小企業オーナー様を対象に、M&A売却・会社売却・事業承継に関する企業価値算定(株価算定)・売却判断の是非・取引条件の妥当性検証を行う独立系M&Aアドバイザリーです。

M&A仲介を前提とせず、「今、本当に売るべきか」「提示価格・条件は適正か」という
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▼経歴と専門性
 前職では、東証プライム上場グループ会社の代表取締役社長として、DX・Webマーケティング支援事業を経営。経営実務におけるファイナンス、企業価値評価、投資判断を自ら担ってきました。

 その実務経験を背景に、「M&A仲介ありきでは意思決定を誤るケースが多い」という問題意識から中立・第三者の立場で判断を支援するM&Aアドバイザリー事業を創業しました。

現在は自己勘定投資会社も並行して経営しており、
「プロ経営者」の実務視点と
「プロ投資家」の資本・リスク評価視点の双方から、
M&A売却における事業価値の最大化と意思決定リスクの最小化を支援しています。

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