0. 最初に結論
本件は、AViCがTikTok LIVEのライバーマネジメント会社Spicaを株式100%取得する取引です。取得価額(クロージング対価)は普通株式15億円、加えてアドバイザリー費用等0.8億円が見込まれています。また、条件付取得対価(アーンアウト)最大3億円、さらに売上が基準を大幅に下回る場合の対価返還(返金)条項が設定されています。
開示資料では、(クロージング対価基準で)Spicaの2026/4期見込みEBITDAに対し、EV/EBITDAが約3.1〜3.6倍と明示されています。さらに、説明資料上「株式取得価額15億円」「Net Cash概算3.5億円」「EV概算11.5億円」と整理されています。
したがって本件の論点は、「高成長・高利益率ビジネスが、なぜ低いEV/EBITDAレンジで成立したのか」と、「売り手が価格を最大化するために、どの数字・どの条項を設計すべきか」に集約されます。
1. まず“弱点指摘”:ニュースだけで判断すると、売り手は価格を取り逃がします
ニュース本文だけを見ると、Spicaは(2025/4期)売上高3.85億円、営業利益2.13億円、純資産1.32億円、取得価額15.8億円と読めます。しかし、適時開示の注記で、2025/4期の数値には「譲渡対象外」の健康食品事業・芸能事業が含まれるとされています。つまり、売り手・買い手の双方が見るべきは「会社全体」ではなく、“譲渡対象事業のみ”の収益力とリスクです。実務でここを外すと、(売り手側では)
- “高利益”の根拠が曖昧になる
- 事業の切り分け(カーブアウト)で想定外のコストが出る
- 結果として、買い手にディスカウントされる
という形で価格を落とします。
2. 重大リスク(危険ポイント):この案件が「条件付きの現金対価」になった合理性
本件は、全額現金・一括払いに見えますが、実態は「現金+アーンアウト+返金条項」の組合せです。これは売り手にとって“追加上振れ”の余地である一方、買い手が見ているのは以下の典型リスクです。
危険ポイントA:収益ドライバーが「プラットフォーム規約・インセンティブ」に依存
説明資料では、Spicaは「所属ライバーから手数料は取らず、プラットフォームからのインセンティブ報酬のみで収益化」とされています。このモデルは粗利が高く見えますが、反面、
- インセンティブ設計の変更
- 一次代理店資格・評価制度の変更
- 配信規制・広告規制の強化
の影響を強く受けます。買い手はここに制度変更リスクを織り込み、固定価格を抑え、成果連動(アーンアウト)で調整しがちです。
危険ポイントB:キー・パーソン依存(創業者が抜けた瞬間に崩れる)
アーンアウトの条件として「売上高20億円到達」かつ「現株主が継続して取締役であること」が置かれています。これは買い手が、事業価値の相当部分を創業者の運用能力・ネットワークと見ていることを意味します。売り手側が価格を上げたいなら、ここを「個人技」から「組織能力」に変える(KPI化・採用育成・管理会計の整備)ことが本質的な打ち手です。
危険ポイントC:カーブアウト(譲渡対象外事業がある)=“数字の連続性”が途切れる
2025/4期の財務は対象外事業を含む一方で、2026/4期見込みは「対象外事業を除く」前提のレンジ開示です。この場合、売り手は 対象事業のPL/BSを切り出して説明できるか(カーブアウト財務) が価格を左右します。「切り出しが雑=デューデリで修正が多い」ほど、買い手は(表面上は)マルチプルを下げ、(条項上は)返金・留保・アーンアウトを厚くします。
3. バリュエーション①:純資産法(P/Bの見え方と限界)
3-1. 純資産法とは(用語)
純資産法は、貸借対照表の「純資産(資産−負債)」を基礎に株価を評価する方法です。現預金・売掛金・借入金など“見える資産負債”が中心で、将来利益(のれん)を薄く見るのが特徴です。
3-2. 本件数値での試算(2パターン)
開示上、Spicaの純資産は(2025/4期)1.32億円です。クロージングの株式取得価額(普通株式)は15.0億円です。
- パターンA(開示純資産をそのまま使用)
- 株式価値 15.0億円 ÷ 純資産 1.32億円 = P/B 約11.36倍
ただし、当該純資産は「対象外事業を含む」注記があり、さらにカーブアウト後のBSが不明です。したがって純資産法は、本件では “下限確認”の補助線であり、価格決定の主役にはなりにくい、というのが実務的な結論です。
- パターンB(Net Cashを“実質純資産”の代表値として参照)
説明資料では、契約締結日における対象会社のNet Cash概算が3.5億円とされます。この数字は「事業の稼ぐ力」ではなく、価格の安全マージン(現金バッファ)として買い手が重視します。(あくまで補助線ですが)株式価値15.0億円 ÷ Net Cash3.5億円 = 約4.29倍となります。
純資産法は「IT・クリエイター領域のような無形資産型ビジネス」では弱い。
一方、Net Cashはディールの条項設計(EV計算、運転資本調整、価格調整)に直結するため、売り手は必ず作り込むべきです。
4. バリュエーション②:EV/EBITDA法(本件の中核)
4-1. EV/EBITDAとは(用語)
- EV(Enterprise Value):事業価値。一般に「株式価値+有利子負債−現預金(Net Cash控除)」で近似します。
- EBITDA:営業利益に減価償却などを足し戻した「キャッシュ創出力」の近似値(業種により調整が重要)。
本件説明資料では、株式取得価額15億円、Net Cash3.5億円、EV11.5億円と明示されています。また、譲渡対象事業のみの2026/4期見込みとして、EBITDAが3.2〜3.7億円レンジで示されています。
4-2. EV/EBITDAの算定(レンジ)
- EV(概算):11.5億円00
- EBITDA(見込み):3.2〜3.7億円00
よって、
- 11.5 ÷ 3.7 = 3.11倍
- 11.5 ÷ 3.2 = 3.59倍
開示の「約3.1〜3.6倍」と一致します。
4-3. それでも“低く見える”理由(売り手目線の示唆)
ここが売り手開拓の記事としての核心です。EBITDAが3億円台でEVが11.5億円なら、見た目は「安くないか」と感じるオーナーは多いです。実務では、次のいずれか(または複合)が起きています。
- EBITDAが“ピーク利益”で、再現性にディスカウントがかかっている
ライバーの入替、アルゴリズム、プラットフォーム条件で変動しやすい構造だと、買い手は低倍率から入ります。 - アーンアウトで“上振れ分”を後払いにしている
売上20億円到達時に最大3億円という設計は、固定価格を抑えつつ、成功時に追加支払いする典型です。売り手は「固定価格15億」だけでなく、“期待値ベースの総対価”で交渉すべき局面があります。 - 返金条項がある=ベース価格が“保険料控除後”になっている
売上が基準を大幅に下回る場合、対価の一部返還が設定されています。これは買い手にとって下方リスク限定(プロテクション)であり、売り手にとっては実質的な価格減額リスクです。条項のトリガー、測定方法、例外(不可抗力・制度変更等)を詰めないと、見かけの倍率は意味を失います。
5. バリュエーション③:類似比較法(“同業マルチプル”ではなく“同リスク・同再現性”で比べる)
5-1. 類似比較法とは(用語)
類似比較法(マルチプル法)は、同業・類似モデルの会社の「EV/EBITDA等の倍率」を参照して対象会社に当てはめる方法です。ただし、売り手がよく誤解するのは「同業っぽい上場会社の倍率を持ってくる」ことです。実務の買い手は、業種ラベルよりも次の“中身”で比較します。
- 売上の予測可能性(継続課金か、単発か)
- 粗利構造(労働集約か、プラットフォームレントか)
- 集中度(上位配信者・上位プラットフォーム依存)
- コンプライアンス耐性(規約変更・広告規制・景表法・個人情報)
- KPI管理の成熟度(獲得効率、離脱率、LTV)
5-2. 本件に即した“比較の置き方”(実務で使うレンジの作り方)
本件開示から逆算すると、買い手(AViC)は少なくとも次を前提にしています。
- 対象事業のEBITDA:3.2〜3.7億円
- EV:11.5億円
- したがって基準倍率:3.1〜3.6倍
この「3倍台」がベースになった背景として、売り手側が比較すべきは、上場の広告代理店そのものではなく、“プラットフォーム依存×人材(タレント)依存×高成長”という同リスク集合の取引です。売り手は、ここで初めて「自社のどの要素が倍率を押し上げ、どの要素が押し下げるか」を言語化でき、交渉材料になります。
6. では売り手はどうすべきか:価格を上げるのは「倍率」ではなく「再現性」の証明
ここからは、売り手開拓向けに“行動”へ落とします。価格を上げる現実的手段は概ね3つです。
6-1. KPI(獲得・育成・収益化)を“個人技”から“モデル”へ
AViCはSpicaに「データドリブンな経営管理手法導入の余地がある」と述べています。裏返すと、売り手が先にこれを整備していれば、買い手は
- 成長が再現可能
- キーパーソン依存が低い
と評価し、固定対価が上がり、アーンアウト比率が下がる方向に交渉できます。
6-2. カーブアウト財務(対象事業のPL/BS)を“監査耐性”で作る
対象外事業を含む実績値と、対象事業のみの見込み値が混在しています。
売り手は、対象事業のみの
- 売上計上方針(総額か純額か)
- インセンティブの認識時点
- 関連コスト(採用費、外注費、返金等)の引当
を説明できないと、デューデリで修正され、倍率が落ちます。
6-3. 条項設計(アーンアウト・返金・表明保証)で“期待値”を最大化する
アーンアウトは「上振れの取り分」ですが、条件が悪いと“幻想”になります。売り手に必要なのは、最大額の提示ではなく、
- 測定KPIの定義
- 売上計上ポリシー変更の扱い
- 買い手の経営判断で達成不能になった場合の救済
- 不可抗力(制度変更)時の調整
といった実行可能性の担保です。
7. 会計・税務・法務:売り手が最低限押さえるべきポイント(平易な補足付き)
※以下は一般論です。個別案件は専門家に個別確認が必要です。
7-1. 会計:のれん(営業権)とPPA(取得対価配分)
本件では「のれん金額および償却年数は未確定」とされています。のれんとは、純資産を超えて支払った「超過収益力」の対価です。買い手の連結上、のれんが大きくなるほど将来の減損リスクが増えるため、買い手はデューデリで厳格になります。売り手は、のれんを正当化する材料(KPI、契約、継続率)を揃えるほど、価格交渉が安定します。
7-2. 法務:表明保証(レプス)とプラットフォーム契約
表明保証は「過去・現在の事実に虚偽がない」ことを売り手が保証する条項です。
この領域では特に、
- プラットフォーム規約違反の有無
- 一次代理店資格の維持条件
- 所属ライバーとの契約(解除条項、競業、報酬)
- 個人情報の取扱い(取得方法・同意・委託先管理)
が価格(補償上限・エスクロー・留保)に直結します。
7-3. 税務:株式譲渡益課税とスキーム選択
本件は株式取得(株式譲渡)です。売り手個人(株主)が譲渡する場合、譲渡益課税が基本になります。事業譲渡(資産譲渡)との比較では、消費税・許認可・契約移転・簿外債務の引継ぎなど論点が変わります。
「どちらが有利か」は、株主属性(個人/法人)、含み益の構造、繰越欠損金、役員退職金設計等で結論が変わるため、売却プロセスの初期に整理が必要です。
8. アドバイザリー費用(この開示から読み解けること)
本件では「アドバイザリー費用等(概算額)0.8億円」が明示されています。
9. まとめ:売り手がこの事例から持ち帰るべき3点
- 純資産は下限確認、主役はEV/EBITDA(ただしEBITDAの定義と再現性が全て)
- アーンアウトと返金条項は「価格」そのもの(最大額ではなく達成可能性を設計する)
- “個人技のビジネス”はディスカウントされる(KPI・組織化・カーブアウト財務で倍率は変わる)
10. 売り手向けチェックリスト(簡易)
- 対象事業のみのPL/BSを作れている(カーブアウト財務)
- 主要KPI(獲得・育成・継続・収益化)を月次で説明できる
- プラットフォーム規約・代理店資格の維持条件を整理している
- キーパーソン依存の低減策(権限移譲・採用育成)がある
- アーンアウトの測定定義・例外・救済条項の論点を理解している



















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