2026年1月6日、サンケイリアルエステート投資法人は、Tiger投資事業有限責任組合およびLion投資事業有限責任組合(以下、公開買付者ら。トーセイおよびGIC関連会社が背後に存在)によるTOB(株式公開買付け)への賛同を表明しました。提示された価格は1口当たり125,000円。この数字が導き出された背景には、上場市場での評価と、不動産の本源的価値との間の「歪み」を突いた、プロフェッショナルな計算と緻密な交渉が存在します。
1. 4つの評価手法から読み解く「多角的バリュエーション」
M&Aのバリュエーションでは、通常複数の手法を併用します。今回のケースで第三者算定機関(みずほ証券)が採用した4つの手法は、一般企業の価値評価にもそのまま応用できるフレームワークです。
① 市場投資口価格基準法(上場株価の推移)
- 算定レンジ:98,926円 ~ 103,189円
- 解説: 市場で実際に取引されている価格をベースにする手法です。直近1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月の平均値を参照します。
- 実務の視点: 上場企業の場合、これが「世間の評価」のスタートラインになります。しかし、サンケイビルの事例では、この市場価格は「NAV(純資産価値)」を下回る「割安放置」の状態にありました。
② 類似投資法人比較法(マーケット・アプローチ)
- 算定レンジ:94,254円 ~ 127,274円
- 解説: 似たような事業形態や資産規模を持つ他のリートと比較して価値を割り出す手法です。
- 実務の視点: 一般企業のM&Aでは「類似上場会社比較法(マルチプル法)」と呼ばれます。同業他社が売上や利益の何倍で評価されているかを見るため、非常に客観性が高い指標です。
③ DDM法(インカム・アプローチ)
- 算定レンジ:83,240円 ~ 123,294円
- 解説: 将来得られる配当(収益)を、現在の価値に割り引いて計算する手法です。一般企業ではDCF法(ディスカウント・キャッシュ・フロー法)が主流です。
- 実務の視点: 最も論理的ですが、将来予測(事業計画)に依存するため、買い手と売り手で最も意見が分かれる部分です。今回、保有物件の退去リスクによる減益影響が織り込まれたため、レンジの下限が低くなっています。
④ 修正純資産法(コスト・アプローチ)
- 価格:108,413円
- 解説: 保有している不動産などの資産を「今売ったらいくらになるか(時価)」で再評価し、負債を差し引いて残る価値を算出します。
- 実務の視点: 資産背景の強い企業や、リートの評価において「解散価値」としての底値を示す重要な指標です。
2. 交渉がもたらした「プレミアム」の正体
今回の事例で特筆すべきは、当初の買付価格提案が108,500円であったのに対し、最終合意が125,000円まで引き上げられた点です。実に15.2%(16,500円)の上積みです。
妥当な分配の要求
本投資法人が設置した特別委員会は、買い手(公開買付者ら)が非公開化後に実行する「バリューアップ(資産価値向上策)」によって得られる将来の利益を、現在の投資主に適切に分配すべきだと主張しました。
スクイーズアウトの確実性
買い手にとって、一部の株主が反対して手続きが滞るリスクは避けたいものです。価格を「文句のつけようがない水準」まで引き上げることで、スムーズな非公開化(スクイーズアウト)の確実性を買ったとも言えます。
用語解説:スクイーズアウト 少数株主から強制的に株式を買い取り、特定の株主(買い手)が100%の支配権を得る手続きのこと。M&Aの完了において重要なステップです。
3. 「日立九州ビル」の空室リスクを逆手に取った戦略的価値
バリュエーションにおいて「リスク」は通常、価格を下げる要因になります。本投資法人が保有する「日立九州ビル」では、主要テナントの退去により総賃貸面積の約20%が空室になるという大きなリスクを抱えていました。上場リートであれば、これは分配金の減少に直結するため、株価の下落を招きます。しかし、非公開化を前提としたM&Aの文脈では、この空室は「伸び代(アップサイド)」へと変換されます。
- J-REIT市場の制約: 短期的な分配金の安定が求められるため、一時的な空室を伴う大規模なリノベーションがしにくい。
- M&A後の戦略: 非公開化することで、短期的な利益を無視して抜本的なリーシング(客付け)対策やリノベーションを行い、数年後に資産価値を最大化して再売却(または再上場)する。
このように、「誰が持つか」によって資産のバリュエーションが変わるのがM&Aの醍醐味です。
4. 売り手オーナーが知っておくべき「税務上の導管性要件」
リートの事例に特有ながら、一般のM&Aでも考慮すべきなのが「税の最適化」です。リートは利益の90%以上を分配することなどで、法人税が実質的に免除される「導管性要件」という仕組みがあります。
今回のTOBでは、2026年2月期の分配金を損金算入できるようなスキームを組むことで、法人税負担を抑え、その分を投資主への支払額(バリュエーション)に反映させる工夫がなされています。
用語解説:導管性要件(どうかんせいようけん) 投資法人などが稼いだ利益に直接課税せず、投資家への配当時にのみ課税されるための条件。税金の「二重課税」を防ぐ仕組みです。
5. M&Aにおける利益相反の回避と「特別委員会」の役割
今回のTOBでは、本投資法人の執行役員が、資産運用会社の代表を兼務していました。これは、売り手側の経営陣が「買い手との関係性」を持っている可能性があることを意味します。
このような場合、バリュエーションの透明性を担保するために「特別委員会」が設置されます。今回のサンケイの事例でも、独立した社外の有識者(弁護士・公認会計士)が、市場価格を大幅に上回るプレミアムを勝ち取るために機能しました。
オーナー企業においても、親族間や関連会社間でのM&Aを行う際は、このような「第三者の目」による適正評価が、後のトラブルを防ぎ、税務当局への説明責任を果たす鍵となります。
本記事の専門用語まとめ
- TOB(公開買付け): 不特定多数の株主から、市場外で株式を買い集める手法。
- NAV(純資産価値): Net Asset Value。時価で評価し直した純資産。
- プレミアム: 市場価格や基準価格に上乗せされる金額。
- DDM法: Dividend Discount Model。将来の配当を基に現在の価値を測る手法。
- デュー・ディリジェンス: 買い手が行う、売り手企業の精密な資産調査・リスク確認。



















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