じげん<3679>のエニーキャリア買収価額「29億円」の妥当性とは?- バリュエーションとシナジーの観点から読み解く

 2025年7月25日、ライフメディアプラットフォーム事業を運営する株式会社じげん(以下、じげん)が、薬剤師の人材紹介事業等を展開する株式会社エニーキャリア(以下、エニーキャリア)の全株式を29億2,400万円で取得し、子会社化することを発表しました。成長戦略の一環として積極的なM&Aを展開するじげんの次なる一手として、また、専門人材領域における事業拡大の試みとして注目されます。しかし、M&Aにおいて最も重要な論点の一つは、その「買収金額の妥当性」です。じげんは、エニーキャリアの何に価値を見出し、29億円という価格を決定したのでしょうか。

 本稿では、本件の概要を整理するとともに、企業価値評価(バリュエーション)のフレームワークを用いて取得価額の妥当性を多角的に分析します。さらに、評価額と取得価額の間に存在する「差額」から、じげんが本件で見込むシナジー効果の大きさを定量的に解き明かしていきます。

案件概要

 まず、本M&Aの基本的な構造を理解することが分析の出発点となります。

  • 買い手: 株式会社じげん(実質的な取得の主体は、100%子会社で美容・ヘルスケア業界に強みを持つ株式会社リジョブ)
  • 売り手: 株式会社エニーキャリアの株主:代表取締役 青木理音(100%)
  • 対象事業: 薬剤師の人材紹介事業及び関連事業
  • 取得株式: 100%(完全子会社化)
  • 取得価額: 29億2,400万円
  • 本件の特色(ストラクチャー): エニーキャリアは、祖業である調剤薬局事業も営んでいましたが、本M&Aの実行に先立ち、当該事業を新設会社に移管(カーブアウト)しています。これは、じげんが自社の事業ポートフォリオと戦略的親和性の高い「薬剤師紹介事業」にフォーカスして買収することを可能にする、巧みなディールストラクチャリングと言えます。買い手は非関連事業を引き継ぐリスクを回避でき、売り手はコア事業の価値を最大化して売却できるという、双方にとって合理的な選択です。

 じげんは、不動産、求人、自動車など多岐にわたる領域で情報集約サイト(アグリゲーションサイト)を運営し、集客とWebマーケティングに卓越したノウハウを有しています。一方、エニーキャリアは薬剤師という専門領域に特化し、約7,000社の薬局関連顧客基盤を持つ、いわば「特定領域のスペシャリスト」です。じげんグループの持つ「集客力」と、エニーキャリアの持つ「専門領域での事業基盤・マネタイズ力」を掛け合わせることで、大きな相乗効果(シナジー)が期待できる、というのが本件M&Aの根幹にある戦略的意義と推察されます。

バリュエーション手法の解説

 M&Aにおける企業価値評価(バリュエーション)は、対象会社の価値を客観的かつ多角的に分析するための重要なプロセスです。単一の手法で完璧な答えが出ることはなく、複数の手法を組み合わせ、それぞれの特性を理解した上で総合的に価値のレンジ(範囲)を導き出すのが一般的です。

 本稿では、代表的な4つの手法を用いて、エニーキャリアの企業価値を分析します。

1. 純資産法(コスト・アプローチ)

  • 概要: 純資産法は、対象会社の貸借対照表(B/S)に着目し、資産(時価評価後)から負債(時価評価後)を差し引いた「純資産」を企業価値とする考え方です。企業の「清算価値」、つまり今事業を解散した場合に株主に残る価値に近い概念であり、評価の客観性・安定性が高い手法です。
  • 本件への適用: 公表されているエニーキャリアの純資産額は10億6,000万円(2025年3月期)です。これは、企業価値評価における一つの基準点、特に下限の参考値となります。
  • 分析と示唆: 取得価額29.24億円は、純資産額を18.64億円も上回っています。この差額は、貸借対照表には記載されない「のれん(超過収益力)」、すなわちエニーキャリアが将来にわたって生み出すであろう利益や、ブランド、顧客基盤といった無形資産の価値をじげんが高く評価したことを示唆しています。

2. 年買法(マーケット・アプローチの一種)

  • 概要: 年買法は、中小企業のM&Aで慣習的に用いられる評価手法で、「純資産 + 営業利益 × N年分」という形で簡便に価値を算出します。この「N年」は、事業の安定性や将来性、業界特性などを加味して決定され、一般的に3年〜5年で設定されるケースが多く見られます。本質的には、純資産というストック価値に、将来の収益力(フロー)を「のれん」として加算する考え方です。
  • 本件への適用: エニーキャリアの営業利益は3億2,300万円です。仮に「N」を3年〜5年と設定して計算してみましょう。
    • N=3年の場合: 10.6億円 + (3.23億円 × 3) = 20.29億円
    • N=5年の場合: 10.6億円 + (3.23億円 × 5) = 26.75億円
  • 分析と示唆: この手法による評価レンジは約20.3億円〜26.8億円となります。取得価額29.24億円は、このレンジの上限をも上回っています。これは、じげんがエニーキャリアの超過収益力を「5年分以上」と極めて高く評価していることを意味します。薬剤師という専門人材市場の成長性、高い参入障壁、そして後述するシナジー効果への強い期待がなければ、正当化が難しい価格水準である可能性を示唆しています。

3. EBITDA倍率(マルチプル)法(マーケット・アプローチ)

  • 概要: EBITDA倍率法は、類似の上場企業やM&A事例を参考に、企業価値がEBITDA(利払前・税引前・減価償却前利益)の何倍(マルチプル)で評価されているかを分析し、対象会社の企業価値を算出する手法です。異なる資本構成や税率、減価償却方針の影響を排除したEBITDAを用いるため、国際的な企業価値比較に適しています。
  • 本件への適用: 本件では減価償却費が公表されていないため、厳密なEBITDAは算出できません。しかし、人材紹介事業は比較的設備投資が少ないビジネスモデルであるため、営業利益をEBITDAの近似値として用いて分析を進めます。これは実務上もよく行われる簡便法です。
    • EBITDA(≒営業利益): 3.23億円
    • 適用されたEBITDA倍率: 取得価額 29.24億円 ÷ 3.23億円 ≒ 9.05

 次に、この「9.05倍」という水準が妥当かを検証します。薬剤師紹介事業に完全に合致するデータは限定的ですが、関連性の高い調剤薬局業界のM&A市場では、EBITDA倍率の平均・中央値は約7倍〜8倍が一つの目安とされています。

  • 分析と示唆: 9.05倍という評価は、業界の平均的な水準を明確に上回っています。これは年買法の分析結果とも整合的です。このプレミアム(上乗せ価値)の根拠として、以下の2点が考えられます。
  • 高い成長性: エニーキャリアが持つ薬剤師領域でのニッチトップとしての地位や、過去の成長実績、今後の市場拡大ポテンシャルが、平均以上のマルチプルを正当化している。
  • シナジーへの期待: 買い手であるじげんにとってのみ発現する、特別な価値(シナジー効果)が価格に織り込まれている。 M&Aの価格交渉においては、この両者が複雑に絡み合い、最終的な取得価額が決定されます。

買収金額との差異でシナジー効果がどれだけ織り込まれているのか

 これまでの分析を統合し、取得価額29.24億円の中に、シナジー効果への期待がどれほど込められているのかを具体的にあぶり出します。

スタンドアロン・バリュー(エニーキャリア単体の価値)を、比較的保守的な評価である年買法の上限、もしくは業界標準的なEBITDA倍率を用いて推定します。

  • 年買法(N=5年)ベースの評価額: 約26.75億円
  • EBITDA倍率法(8倍)ベースの評価額: 3.23億円 × 8倍 = 約25.84億円

これらの評価額と実際の取得価額との差額を計算します。

  • 差額(vs 年買法): 29.24億円 – 26.75億円 = 2.49億円
  • 差額(vs EBITDA倍率法): 29.24億円 – 25.84億円 = 3.40億円

 この約2.5億円〜3.4億円という金額が、じげんが本件M&Aに対して支払った「シナジー・プレミアム」の大きさであると定量的に推計できます。これは、じげんが「我々のプラットフォームとノウハウを組み合わせれば、エニーキャリアの価値を最低でもこれだけ向上させられる」という自信の表れに他なりません。

 では、このシナジー・プレミアムの源泉は何でしょうか。M&Aアドバイザーの視点から、具体的なシナジーの内容を推察します。

  • 売上シナジー(トップライン向上):
    • 集客力の強化: じげんが持つSEOやWeb広告の運用ノウハウをエニーキャリアの求人サイトに投入し、これまでリーチできていなかった潜在的な転職薬剤師の登録を促進する。
    • クロスセル/アップセル: じげん傘下のリジョブが抱える美容・ヘルスケア領域の顧客(クリニック、サロン等)に対し、薬剤師の採用ニーズを喚起し、エニーキャリアのサービスを紹介する。
    • 新規事業開発: 両社の知見を活かし、薬剤師向けのキャリア支援や教育コンテンツなど、新たなマネタイズポイントを創出する。
  • コストシナジー(ボトムライン改善):
    • 広告宣伝費の効率化: グループ全体でのメディアバイイングにより、広告単価を低減させる。
    • 管理部門の統合: 経理、人事、法務といったバックオフィス機能の一部をじげん本体に集約し、重複コストを削減する。
    • システム投資の効率化: グループ共通のITインフラや業務システムを利用することで、開発・運用コストを抑制する。

 じげんの経営陣は、これらのシナジーによってエニーキャリアの将来キャッシュフローが年間数千万円〜1億円以上増加し、その将来にわたる増加分の現在価値が約3億円を上回ると判断したのでしょう。

 取得価額29.24億円、EBITDA倍率9.05倍という数字は、一見すると高値掴みにも映るかもしれません。しかし、その背景には、じげんのプラットフォーム戦略と、専門領域で確固たる地位を築くエニーキャリアとの間に生まれるであろうシナジー効果に対する、綿密な分析と強い確信が存在します。

 本件M&Aの真の成否は、今後じげんが、価格に織り込んだシナジーを計画通りに実現し、投下資本を上回るリターンを生み出せるか否かにかかっています。今後の両社の動向を、注意深く見守っていく必要があるでしょう。

―この記事の監修者―

プライマリーアドバイザリー株式会社

代表取締役 内野 哲

一般社団法人 金融財政事情研究会 M&Aシニアエキスパート/東証プライム上場企業グループ会社代表取締役社長を経てM&Aアドバイザリー事業創業/自己勘定投資会社にて投資業/企業価値評価、M&Aスキーム設計に精通

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