介護事業のM&A事例:シダー(2435)によるダブルエイチオー子会社化

 2026年3月5日、東証スタンダード上場の介護事業者・株式会社シダー(証券コード:2435)は、名古屋市で介護付有料老人ホーム2施設および訪問看護事業を運営する株式会社ダブルエイチオーの全株式を取得し、完全子会社化することを発表しました。

 本件の取得価額9億1,800万円(アドバイザリー費用等を含む総額9億9,500万円)の妥当性を、年買法(年倍法)、EV/EBITDA法、のれん償却を考慮した連結損益インパクトの3つの手法で多角的に検証いたします。

 営業赤字企業の買収は、一般的なM&Aとは異なる独自のバリュエーション(企業価値評価)の論理が求められます。本件は「業績悪化企業のM&A」という分類にあたりますが、その裏にはシダーの東海エリア進出という明確な戦略的意図が存在します。本記事が、介護業界のM&Aに関心をお持ちの経営者、CFO、事業承継をお考えの方々にとって、判断の一助となれば幸いです。

目次

第1章 当事者企業のプロフィール

買い手:株式会社シダー(証券コード:2435/東証スタンダード)

 シダーは、福岡県北九州市に本社を構える介護サービスの中堅企業です。2000年に介護事業へ参入し、2005年にジャスダック証券取引所(現・東証スタンダード市場)へ上場しました。デイサービス事業、施設サービス事業(有料老人ホーム「ラ・ナシカ」ブランド)、在宅サービス事業の3本柱で、九州・山口地区および関東地区を中心に事業を展開しています。

 2025年3月期(通期予想)の連結売上高は約174億9,300万円、営業利益は約7億7,000万円。施設サービスにおける稼働率は約98%と極めて高水準にあり、デイサービスもコロナ禍前の水準を上回る稼働率にまで回復しています。時価総額は約25億円(2026年2月時点)、PER約9.7倍、PBR約1.33倍で取引されています。

 2025年10月には名古屋証券取引所メイン市場への重複上場を果たしており、中部圏での認知度向上と資金調達基盤の多様化を図る姿勢を鮮明にしていました。今回のダブルエイチオー子会社化は、この名証上場と時系列的に連動した東海エリアへの本格進出の第一歩として位置づけられます。

なお、2026年3月期第3四半期(2025年4-12月)の連結業績は、売上高136億7,700万円(前年同期比1.8%増)と微増収を確保したものの、営業利益は5億1,200万円(同32.9%減)と減益基調にあります。人件費増加や管理部門強化に伴うコスト上昇が主因とされています。

売り手:株式会社ダブルエイチオー

 ダブルエイチオーは、愛知県名古屋市北区に本社を置く介護事業者です。2002年4月に、介護ビジネスと不動産証券化を研究する会社として設立されました。設立後、介護付有料老人ホーム運営を主力事業として成長し、現在は以下の施設と事業を運営しています。

(1)「百ねん庵 楠」:介護付有料老人ホーム、定員61名、2005年5月開設
(2)「百ねん庵 桜」:介護付有料老人ホーム、定員66名、2012年9月開設
(3)訪問看護事業所

 合計定員は127名です。いずれの施設も名古屋市北区楠味鋺エリアに所在しており、名鉄小牧線味鋺駅から徒歩圏内にあります。「百ねん庵 楠」は医療を重視した介護サービスを、「百ねん庵 桜」はリハビリ系の介護サービスを特色としています。

 資本金は4,700万円、株主構成は渡邊毅氏(代表取締役社長)が72.5%、大島一郎氏が26.7%、平野龍一氏が0.8%と、典型的なオーナー企業の株主構成です。

本件の開示資料によれば、シダーとダブルエイチオーの間には、資本関係、人的関係、取引関係のいずれも存在しておらず、関連当事者取引にも該当しません。すなわち、独立した第三者間の取引(アームズ・レングス取引)として成立した案件です。

第2章 ダブルエイチオーの財務分析――3期連続営業赤字の構造

 バリュエーションの前提として、ダブルエイチオーの過去3期の業績を丁寧に読み解く必要があります。開示された財務データは以下のとおりです。

項目2023年9月期2024年9月期2025年9月期
売上高460百万円452百万円464百万円
営業利益△158百万円△80百万円△74百万円
経常利益△132百万円△65百万円△57百万円
当期純利益808百万円△59百万円100百万円
純資産905百万円846百万円947百万円
総資産1,752百万円1,159百万円1,129百万円

(1)3期連続営業赤字の意味

 まず特筆すべきは、売上高が3期を通じて約4億5,000万円〜4億6,400万円とほぼ横ばいであるにもかかわらず、営業利益は3期連続で赤字であるという事実です。営業赤字幅は、△1億5,800万円→△8,000万円→△7,400万円と縮小傾向にはありますが、直近期でもなお7,400万円の営業損失を計上しています。

 介護付有料老人ホーム2施設(合計定員127名)で売上高4億6,400万円ということは、1施設あたり約2億3,200万円、入居者1名あたり年間約365万円(月額約30万円)の売上高となります。この水準自体は介護付有料老人ホームとしては一般的な範囲ですが、問題は費用構造にあります。

 売上高4億6,400万円に対して営業損失7,400万円ということは、営業費用が約5億3,800万円に達していることを意味します。営業利益率は△15.9%という深刻な水準です。一般的に、適正に運営されている介護付有料老人ホームの営業利益率は5〜10%程度と言われますので、損益構造に構造的な課題が存在していたと考えられます。

(2)2023年9月期の当期純利益8億800万円の異常値

 2023年9月期は営業損失△1億5,800万円にもかかわらず、当期純利益が8億800万円と大幅な黒字を計上しています。同時に、総資産が17億5,200万円から翌期の11億5,900万円へと約5億9,300万円もの大幅減少を記録しています。

 この組み合わせから推測されるのは、大規模な資産売却に伴う特別利益の計上です。ダブルエイチオーは設立当初より不動産証券化スキームの研究を事業目的に掲げており、不動産を保有していた可能性が高いと考えられます。この特別利益により一時的に純資産が積み上がった(905百万円)構造ですが、2024年9月期には営業赤字の影響で純資産は846百万円に減少し、2025年9月期には当期純利益1億円の計上により947百万円まで回復しています。

 2025年9月期の当期純利益1億円も、営業損失△7,400万円・経常損失△5,700万円の状態での黒字ですから、何らかの特別利益が発生している可能性があります。持続的な事業収益力とは切り分けて評価する必要がある点は、留意が必要です。

(3)純資産9億4,700万円の中身を推測する

 総資産11億2,900万円に対して純資産9億4,700万円ですから、自己資本比率は約83.9%と極めて高い水準です。負債合計はわずか1億8,200万円。これは、先述の資産売却によって有利子負債が大幅に圧縮され、手元に資産(現預金や不動産等)が残った結果と考えられます。

 介護付有料老人ホームの運営企業として、純資産約9億5,000万円は相当に厚い水準です。ただし、この純資産の内訳(土地・建物の含み益または含み損、現預金の水準等)は開示されていないため、帳簿上の純資産と実態純資産(時価純資産)には乖離がある可能性があります。

第3章 取引スキームの概要

 本件の取引スキームを整理いたします。

項目内容
取引手法株式譲渡(全株式100%取得)
株式取得価額9億1,800万円
アドバイザリー費用等7,700万円
取得総額9億9,500万円
取得株式数720株(所有割合100%)
売主渡邊毅氏(72.5%)、大島一郎氏(26.7%)、平野龍一氏(0.8%)
株価算定独立した第三者としての税理士による株価算定
取締役会決議日2026年3月5日
株式譲渡契約締結日2026年3月5日
株式取得日(予定)2026年4月1日

 開示資料には「当社から独立した第三者としての税理士による株価算定結果に基づき決定」と記載されています。上場会社が非上場会社の株式を取得する際には、取得価額の合理性を担保するために第三者機関(公認会計士事務所、税理士事務所、またはファイナンシャル・アドバイザー)によるフェアネス・オピニオンや株価算定書の取得が一般的に求められます。本件では税理士による算定が行われていますが、簡易な株式交換や小規模の取引においてはこの形態もしばしば見受けられます。

 また、シダーの開示では「2026年3月期の当社連結業績への影響は軽微」とされています。株式取得日が2026年4月1日(予定)であることから、2026年3月期の決算にはダブルエイチオーの業績は反映されず、翌2027年3月期から連結対象に組み入れられることになります。

第4章 バリュエーション分析(1)年買法(年倍法)

年買法とは

 年買法(年倍法)は、日本の中小企業M&Aにおいて最も広く用いられている簡便的な企業価値評価手法です。計算式は以下のとおりです。

株式価値 = 時価純資産 + 営業利益 × N年分
(Nは一般的に1〜5年。業種・収益安定性・成長性等により変動)

この手法は、企業の清算価値(純資産)に、営業権(いわゆる「のれん」に相当する超過収益力)を加算することで株式価値を導出するものです。コストアプローチ(純資産法)とインカムアプローチ(収益還元法)の折衷的な方法として、実務上の合理性が広く認められています。

本件への適用

ダブルエイチオーの直近期(2025年9月期)のデータを用いて計算します。

項目金額
(A)純資産(帳簿価額)947百万円
(B)株式取得価額918百万円
(C)差額(B−A)△29百万円
(D)直近期営業利益△74百万円
年買法のN値(C÷D)約0.39年

解釈:

 計算結果が示すのは、純資産9億4,700万円に対して取得価額は9億1,800万円であり、2,900万円のディスカウント(約3.1%の減額)が適用されているということです。年買法の枠組みで解釈すると、「営業損失の0.39年分」が減額されたことになります。

 通常、年買法は営業利益がプラスの企業に適用する手法であり、営業利益×N年分は「営業権」(のれん)として純資産に上乗せされます。しかし、本件のように営業利益がマイナスの場合、この「営業権」部分がマイナスの営業権、すなわち「負ののれん」として機能し、純資産から控除される結果となります。

この点に関する実務上の評価は以下のとおりです。

■ 買い手(シダー)にとっての合理性:3期連続営業赤字の企業を純資産以下で取得できていることから、会計上のダウンサイドリスクは限定的です。仮に一切の改善が行えなかった場合でも、ダブルエイチオーの保有資産(不動産等)の清算価値によって投資回収が可能な水準で価格設定されていると考えられます。

■ 売り手にとっての合理性:一方、3期連続の営業赤字にもかかわらず、ディスカウント幅が純資産の約3.1%にとどまっている点は、売り手にとって有利な条件です。通常、3期連続営業赤字であれば、年買法のN値として2〜3年分の営業損失をディスカウントすることも十分に考えられます。仮にN=2年とした場合、918百万円ではなく947+(△74×2)=799百万円が算定額となり、売り手はこれと比較して約1億1,900万円分有利な条件で売却できた計算になります。

 このディスカウント幅が小さい背景には、ダブルエイチオーの厚い純資産に裏打ちされた資産価値、介護施設の総量規制の下での既存施設が有する参入障壁としての価値、そしてシダーの東海エリア進出という戦略的プレミアムが複合的に作用していると推察されます。

第5章 バリュエーション分析(2)EV/EBITDA法

EV/EBITDA法とは

 EV/EBITDA倍率は、M&Aにおける代表的な企業価値評価指標のひとつです。EV(Enterprise Value:事業価値)をEBITDA(Earnings Before Interest, Taxes, Depreciation and Amortization:利払い前・税引き前・償却前利益)で割ることで算出されます。

EV = 株式取得価額 + 有利子負債 − 現預金
EBITDA = 営業利益 + 減価償却費
EV/EBITDA倍率 = EV ÷ EBITDA
※倍率が低いほど「割安」、高いほど「割高」と判断されます。介護業界の中小M&Aでは概ね3〜8倍が一般的な水準とされています。

本件への適用と推定

ダブルエイチオーは非上場企業であるため、有利子負債の内訳や減価償却費の金額は開示されていません。しかし、開示データから合理的な推定を行うことは可能です。

■ 負債構成の推定
総資産1,129百万円−純資産947百万円=負債合計182百万円。先述の大規模な資産売却を経た結果、負債は極めて圧縮されています。介護施設2施設の運営企業として、有利子負債は0〜100百万円程度と推定されます。

■ 減価償却費の推定
介護付有料老人ホーム2施設(2005年・2012年開設)の建物および設備に係る減価償却費は、施設規模や取得原価にもよりますが、年間50〜100百万円程度が妥当な推定範囲です。ただし、2023年9月期の大規模な資産縮小を経ているため、直近の減価償却費は低減している可能性があります。ここでは保守的に50百万円、中間的に70百万円の2パターンで試算します。

推定項目シナリオA
(保守的)
シナリオB
(中間的)
株式取得価額918百万円918百万円
有利子負債(推定)50百万円50百万円
現預金(推定)100百万円100百万円
EV868百万円868百万円
営業利益△74百万円△74百万円
減価償却費(推定)50百万円70百万円
EBITDA△24百万円△4百万円
EV/EBITDA倍率算定不能
(EBITDAマイナス)
算定不能
(EBITDAマイナス)

分析の限界と実務的インプリケーション

 上記のとおり、EBITDAがマイナス(またはマイナスに近い極めて小さい値)であるため、EV/EBITDA倍率は実質的に算定不能です。これは営業赤字企業の買収においてしばしば直面する事態であり、EV/EBITDA法の構造的限界を示しています。

EV/EBITDA倍率が意味を持つのは、対象企業が安定的なプラスのキャッシュフローを生み出している場合に限られます。本件のように「事業そのものは赤字だが、資産価値に着目して取得する」というケースでは、この手法は参考指標として機能しません。

 ただし、この分析結果自体が重要なメッセージを含んでいます。すなわち、本件の取得価額は、ダブルエイチオーの現在の収益力(キャッシュフロー創出力)を根拠としたものではなく、保有資産の価値(ストック価値)を根拠としているということです。

第6章 バリュエーション分析(3)のれん償却と連結損益インパクト

のれん(負ののれん)の算定

 のれんとは、M&Aにおける取得価額が、被取得企業の識別可能な純資産の公正価値を超過する部分を指します。日本の会計基準では、のれんは20年以内の期間で均等償却されます(企業結合に関する会計基準)。

 のれん = 取得価額 − 被取得企業の純資産(公正価値ベース)

本件では、以下の計算となります。

株式取得価額918百万円
ダブルエイチオー純資産(帳簿価額)947百万円
差額(918 − 947)△29百万円(=負ののれん)

 「負ののれん」が発生しています。負ののれんとは、取得価額が被取得企業の純資産を下回る場合に生じるもので、日本基準では発生時に一括して特別利益(負ののれん発生益)として計上されます(企業結合に関する会計基準第33項)。

ただし、ここで重要な留意点があります。上記の計算は帳簿上の純資産をベースとしており、パーチェス法(取得法)適用時には、ダブルエイチオーの識別可能な資産・負債を公正価値(時価)で再測定する必要があります。土地や建物の時価と帳簿価額に差異がある場合、のれんの金額も変動します。

 仮に不動産の時価が帳簿価額を上回る場合(含み益がある場合)、公正価値ベースの純資産は帳簿上の947百万円を超える水準となり、負ののれんの額はさらに大きくなります。逆に含み損がある場合は、正ののれんが発生する可能性もあります。

連結損益インパクトの試算

次に、本件がシダーの連結業績に与える影響を試算します。

■ 前提条件(保守シナリオ:改善前の現状維持ベース)

項目金額備考
ダブルエイチオー売上高464百万円現状維持
ダブルエイチオー営業利益△74百万円現状維持
のれん償却額(帳簿ベース)0円負ののれんのため年次償却なし
負ののれん発生益(特別利益)29百万円取得時に一括計上
連結営業利益への影響△74百万円営業赤字がそのまま連結に反映
連結当期純利益への影響(初年度)△74百万円+29百万円
=△45百万円
営業損失+負ののれん発生益

シダーの2025年3月期の連結営業利益予想は約7億7,000万円です。仮にこの水準が2027年3月期も維持されると仮定すると、ダブルエイチオーの連結取込みにより約7,400万円の営業減益要因が発生します。連結営業利益に対する影響度は約9.6%であり、決して軽微とは言えません。

■ 改善シナリオ:シダーの運営ノウハウ投入後

 シダーの施設サービス事業は稼働率約98%で運営されており、施設運営の効率化には定評があります。仮にシダーのノウハウ投入により、ダブルエイチオーの営業損失を解消し、営業利益率5%(営業利益約23百万円)まで改善できた場合の試算は以下のとおりです。

項目保守シナリオ改善シナリオ改善幅
売上高464百万円480百万円+16百万円
営業利益△74百万円+24百万円+98百万円
連結営業利益上乗せ効果△74百万円+24百万円+98百万円

 改善シナリオが実現すれば、連結営業利益に対して約2,400万円のプラス寄与が期待できます。ただし、この改善には稼働率の向上、人件費の適正化、仕入れコストの削減、間接部門のシダー本体への統合など、複合的な施策が必要であり、2〜3年のタイムスパンを要する可能性が高いと考えられます。

現 実的には、連結初年度(2027年3月期)は営業減益要因として作用し、改善効果が顕在化するのは2028年3月期以降になるものと推察されます。

第7章 アドバイザリー費用等の分析

 本件では、株式取得価額9億1,800万円とは別に、アドバイザリー費用等として7,700万円が計上されています。この「等」という表記は、M&Aアドバイザリー報酬のほか、デューデリジェンス(買収監査)費用、法務・税務・労務アドバイザリー費用、株価算定費用などが含まれていることを示唆しています。

レーマン方式との比較

 M&Aの仲介手数料やアドバイザリー報酬の算定には、「レーマン方式」と呼ばれる手数料体系が広く用いられています。レーマン方式とは、取引金額に応じて逓減する料率を適用して手数料を算出する方法で、日本のM&A実務における事実上の標準的な報酬体系です。

レーマン方式の標準料率
5億円以下の部分:5%
5億円超〜10億円以下の部分:4%
10億円超〜50億円以下の部分:3%
50億円超〜100億円以下の部分:2%
100億円超の部分:1%
※基準額(取引金額、移動総資産、企業価値等)は各社により異なります

本件の取得価額(9億1,800万円)を基準額としてレーマン方式で算定すると以下のとおりです。

取引金額の区分対象金額料率手数料
5億円以下の部分500百万円5%25百万円
5億円超〜9.18億円の部分418百万円4%16.7百万円
レーマン方式による報酬合計41.7百万円

 レーマン方式による報酬試算額は約4,170万円です。これに対し、実際のアドバイザリー費用等は7,700万円と開示されています。差額の約3,530万円については、以下のような付随費用が含まれていると推察されます。

(1)財務デューデリジェンス費用(公認会計士等への委託費用)
(2)法務デューデリジェンス費用(弁護士への委託費用)
(3)税務デューデリジェンス費用(税理士への委託費用)
(4)不動産鑑定費用(介護施設の不動産評価)
(5)株価算定費用(第三者税理士への委託費用)
(6)契約書作成・レビュー等の法務費用

 本件のような介護施設を主たる資産とするM&Aでは、不動産鑑定費用が相応の金額に及ぶことが一般的です。介護付有料老人ホーム2施設の不動産評価には、土地評価に加えて建物の劣化診断や設備の状態確認も必要となり、鑑定費用だけで数百万円に達することも珍しくありません。

 アドバイザリー費用等7,700万円は、取得価額9億1,800万円に対して約8.4%の水準です。中小企業M&Aの実務では、取引金額に対するアドバイザリー関連費用の割合は概ね5〜10%の範囲に収まることが多く、本件の水準は許容範囲内と評価できます。

第8章 戦略的合理性の評価

(1)東海エリアへの橋頭堡

 シダーの事業基盤は、長年にわたり九州・山口地区および関東地区に限定されていました。2025年10月の名古屋証券取引所への重複上場は、中部圏での資本市場におけるプレゼンス確立を意図したものですが、事業面での東海エリア進出は本件が初めてです。

 介護事業は本質的にローカルビジネスです。施設の入居者は近隣エリアからの入居がほとんどであり、ケアスタッフの採用も地域の労働市場に依存します。このため、介護事業の地方展開においてはM&Aによる既存施設・人材の獲得が、新規施設の建設よりも遥かに効率的かつリスクが低い参入手段とされています。

 名古屋市は全国第3位の人口規模を擁し、高齢化率も上昇基調にあります。東海エリアの介護市場は潜在的な成長余地が大きく、シダーにとっての戦略的重要性は明確です。

(2)介護施設の「総量規制」がもたらす参入障壁

 介護付有料老人ホームには、各都道府県が策定する介護保険事業支援計画に基づく「総量規制」が存在します。これは、地域の介護サービスの過剰供給を防止するために、新規の特定施設入居者生活介護(介護付有料老人ホームのサービス区分)の指定数を制限する仕組みです。

こ の総量規制の下では、新規に介護付有料老人ホームを開設することは容易ではなく、既に指定を受けている既存施設を取得するM&Aは、規制の壁を越えるための合理的な手段となります。ダブルエイチオーが保有する2施設の指定は、それ自体が希少価値のある無形資産と言えます。

(3)「赤字を買う」ことの戦略的意味

 赤字企業のM&Aは、一見するとリスクの高い投資に映ります。しかし、運営ノウハウと経営資源を有する上場企業が赤字の中小企業を取得するケースでは、「ターンアラウンド(事業再生)プレミアム」が収益機会として存在します。

 ダブルエイチオーの営業損失△7,400万円を解消し、営業利益率5%(営業利益約2,400万円)にまで改善できれば、約9,800万円の損益改善効果が実現します。この改善の蓋然性が、シダーの運営実績(施設稼働率98%)と業界知見によってどの程度担保されるかが、本件の投資判断の核心です。

 改善余地が大きい(=現在の運営効率が低い)企業を、純資産ディスカウントで取得できるという構造は、買い手にとってリスクが限定された状態でアップサイドを追求できる好条件の案件と評価できます。

第9章 危険ポイント(リスクファクター)

本件に際して、実務的な観点から以下のリスクファクターを指摘しておきます。

(1)営業赤字の根本原因の不透明性

 3期連続の営業赤字の原因が、稼働率の低さなのか、人件費の過大なのか、施設の老朽化に伴う修繕費の膨張なのか、あるいはこれらの複合的な結果なのかは、開示情報からは判断できません。原因の特定と改善策の実現可能性が不明確なまま取得に踏み切っている点は、買い手としてのリスクです。

(2)純資産の「質」の問題

 帳簿上の純資産9億4,700万円が、そのまま実態的な企業価値を反映しているとは限りません。特に以下の点については、デューデリジェンスで詳細に検証されているはずですが、外部からの確認は困難です。

・土地・建物の含み損益(築19年・築13年の施設であり、建物の帳簿価額と実勢価格に乖離がある可能性)
・退職給付債務の簿外リスク(介護職員の退職金制度の有無と引当状況)
・未払残業代等の偶発債務リスク
・介護報酬の返還リスク(過去の介護報酬請求の適正性)

(3)人材の流出リスク

 介護事業のM&Aにおいて最大のリスクのひとつが、経営体制の変更に伴うケアスタッフの離職です。介護業界全体の有効求人倍率は3倍を超える水準にあり、人材の流動性は高い状況にあります。特にオーナー社長(渡邊氏)との個人的な信頼関係でつながっているスタッフがいる場合、経営者の交代は離職の引き金になり得ます。

(4)シダー本体の財務余力

 シダーの自己資本比率は改善傾向にあるものの、直近3Q末で約7.1%と、依然として低い水準にあります。約10億円の取得資金の調達方法(自己資金、借入金、またはその組み合わせ)によっては、シダー自体の財務安全性に影響を及ぼす可能性があります。

第10章 バリュエーション総括

3つの手法による分析結果を総括します。

評価手法結果評価
①年買法純資産947百万円に対しN=0.39年分の営業損失をディスカウント→918百万円
(PBR 0.97倍相当)
営業赤字企業としてはディスカウント幅が小さく、売り手に有利な条件。ただし、施設の希少価値と戦略的プレミアムを勘案すれば合理的な範囲
②EV/EBITDA法EBITDAがマイナスのため算定不能本件は収益力ではなく資産価値を根拠とした取引。改善後にEBITDAが正常化すれば8〜12倍程度のレンジに収束する可能性
③のれん・連結損益インパクト負ののれん29百万円(特別利益として一括計上)
連結営業利益へは△74百万円の減益要因
改善シナリオでは+24百万円の増益要因
短期的には連結業績の下押し要因。中長期的にはターンアラウンドの成否が鍵

本件のバリュエーションを一言で表現するならば、「純資産を若干下回る価格での取得」、すなわちPBR(株価純資産倍率)約0.97倍での買収です。この評価水準は、以下の2つの力学のバランスの上に成り立っています。

純資産ディスカウントの根拠:3期連続営業赤字、将来の赤字継続リスク、ターンアラウンドコストの発生見込み

ディスカウント幅が限定的である根拠:厚い純資産(自己資本比率83.9%)、介護施設の総量規制下での既存施設の希少価値、東海エリアへの戦略的参入価値

総合的に見て、本件の取得価額は、買い手にとっても売り手にとっても、互いの事情を反映した現実的な落としどころに着地した取引であると評価いたします。

※本記事は、公開情報に基づく筆者独自の分析であり、特定の企業の株式の売買を推奨するものではありません。投資判断はご自身の責任において行っていただきますようお願いいたします。また、バリュエーションの推定にあたり、開示されていないデータについては合理的と考えられる仮定を置いておりますが、実際の数値とは異なる可能性があります。

プライマリーアドバイザリー株式会社
代表取締役 内野 哲
中小企業オーナー・経営者を対象に、M&Aにおける会社売却・事業売却・事業承継の意思決定支援を専門とする独立系M&Aアドバイザー。企業価値評価(株価算定)、売却判断の是非、提示条件の妥当性検証など、経営者にとって不可逆となるM&A意思決定を第三者の立場から支援している。

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